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高野山村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たかのやまむら
高野山村
廃止日 1902年6月20日
廃止理由 分割新設
高野山村上高野山村下高野山村
現在の自治体 庄原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
比婆郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,937
(『角川日本地名大辞典 34 広島県』494頁、1891年)
隣接自治体 比和村口北村双三郡君田村布野村
島根県飯石郡来島村頓原村吉田村仁多郡阿井村馬木村
高野山村役場
所在地 広島県比婆郡高野山村大字新市
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高野山村(たかのやまむら)は、広島県比婆郡にあった。現在の庄原市の一部にあたる。

地理

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江の川支流・神野瀬川の流域で、中国山地島根県と接する地に位置していた[1]

歴史

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  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、恵蘇郡新市村、上湯川村、下湯川村、和南原村、南村、奥門田村、中門田村、下門田村、岡大内村、高暮村、上里原村が合併して村制施行し、高野山村が発足[1][2]。旧村名を継承した新市、上湯川、下湯川、和南原、南、奥門田、中門田、下門田、岡大内、高暮、上里原の11大字を編成。
  • 1898年(明治31年)10月1日、郡の統合により比婆郡に所属[1][2]
  • 1902年(明治35年)6月20日、区域が広大で交通不便との理由で高野山村を二分割し、大字新市・上湯川・下湯川・和南原・南は上高野山村を、大字奥門田・中門田・下門田・岡大内・高暮・上里原は下高野山村をそれぞれ新設して廃止された[1][2]

地名の由来

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中世には多賀村と称し、山内氏庶流が多賀山内氏・多賀山氏を名乗り、それが地名に転訛したもの[1]

産業

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 『角川日本地名大辞典 34 広島県』493-494頁。
  2. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』448頁。

参考文献

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関連項目

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