下高野山村
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しもたかのやまむら 下高野山村 | |
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廃止日 | 1955年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 上高野山村、下高野山村 → 高野町 |
現在の自治体 | 庄原市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 広島県 |
郡 | 比婆郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,143人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
上高野山村、口北村、双三郡君田村・布野村 島根県飯石郡頓原町・来島村 |
下高野山村役場 | |
所在地 | 広島県比婆郡下高野山村大字中門田 |
ウィキプロジェクト |
下高野山村(しもたかのやまむら[1][2])は、広島県比婆郡にあった村。現在の庄原市の一部にあたる。
地理
[編集]江の川支流・神野瀬川の流域で、中国山地で島根県と接する地に位置していた[2]
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日、町村制施行により高野山村が発足[3][4]。旧村名を継承した新市、上湯川、下湯川、和南原、南、奥門田、中門田、下門田、岡大内、高暮、上里原の11大字を編成[3]。
- 1898年(明治31年)10月1日、郡の統合により比婆郡に所属[3][4]。
- 1902年(明治35年)6月20日、区域が広大で交通不便との理由で高野山村を二分割し、大字奥門田・中門田・下門田・岡大内・高暮・上里原は下高野山村を、大字新市・上湯川・下湯川・和南原・南は上高野山村をそれぞれ新設して廃止された[3][4]。下高野山村の役場を大字下門田に設置[2]。
- 1912年(明治45年)役場を大字中門田に移転[2]。
- 1949年(昭和24年)高暮ダム完成[2]
- 1955年(昭和30年)1月1日、比婆郡上高野山村と合併し、町制施行して高野町を新設して廃止された[1][2]。
地名の由来
[編集]中世には多賀村と称し、山内氏庶流が多賀山内氏・多賀山氏を名乗り、それが地名に転訛したもの[3]。
産業
[編集]- 農業、林業、養蚕、製炭[2]
交通
[編集]県道
[編集]- 里道竹地谷線(広島県道39号三次高野線)[2]
- 里道新市大月線(広島県道186号新市三次線)[2]
乗合バス
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 34 広島県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。