高畠城 (出羽国)
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高畠城 (山形県) | |
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別名 | 高畑城、鐘ヶ城 |
城郭構造 | 平城 |
築城主 | 樋爪季衡 |
築城年 | 承安年間(1171年-1174年)? |
主な城主 | 樋爪氏、伊達氏、春日氏(上杉氏) |
遺構 | 水堀 |
指定文化財 | 堀の一部が高畠町指定史跡[1] |
位置 | 北緯38度00分03.8秒 東経140度11分59.3秒 / 北緯38.001056度 東経140.199806度座標: 北緯38度00分03.8秒 東経140度11分59.3秒 / 北緯38.001056度 東経140.199806度 |
地図 |
高畠城(たかはたじょう)、または高畑城は、出羽国置賜郡(山形県東置賜郡)高畠町高畠大字古城ノ内にあった日本の城(平山城)。別名鐘ヶ城。堀の一部が高畠町指定史跡に指定されている[1]。
概要
[編集]伝承では、承安年間(1171年-1174年)に樋爪季衡によって築城されたと伝わる[2]。
南北朝時代から戦国時代にかけ伊達氏の支配下にあり、212年間統治した。江戸時代には米沢藩の支城[3]であったが、1689年(元禄2年)から幕府直轄になったり上杉家の預かりとなったりした。1866年(慶応2年)、高畠城を含む屋代郷は全て上杉領となる。
現在、城跡は高畠町立高畠小学校となっているが、土塁と内堀の一部が残り、堀は1983年(昭和58年)3月14日に高畠町指定史跡に指定されている。また、『高畑城絵図』が1985年(昭和60年)4月18日に町指定有形文化財(歴史資料)に指定されている[1]。
遺構・復元施設
[編集]- 高畑城址石碑
- 三の丸堀跡(町指定史跡)。
- 土塁跡
周辺施設・関連資料ほか
[編集]支城
[編集]南北朝時代から戦国時代
[編集]- 屋代館、志田館、塩森館、亀岡館、館ヶ崎館 - 伊達氏の諸城。
江戸時代
[編集]- 高畠陣屋 - 高畠藩織田氏の陣屋。高畠(屋代郷)のうち6村のみ(4千石余)を支配。はじめ高畠城の縄張り内に置いたが、のち糠野目に移された[4]。文政9年(1826年)に2度目の焼失で城内に戻り再建されなかった。
- 柏倉陣屋 - 幕府直轄。高畠(屋代郷)のうち10カ村を支配。高畠が上杉氏の支配となったのち、村山の飛び地を治める佐倉藩堀田氏の陣屋になる。