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高梨 利右衛門(たかなし りえもん、? - 元禄元年(1688年)12月)は、江戸時代前期の肝煎[1]。
出羽置賜郡屋代郷二井宿村(現:山形県東置賜郡高畠町二井宿)の人物[1]。
米沢藩の重税と苛政に苦しむ屋代郷の農民を救うため、寛文6年(1666年)幕府に訴える[1][2]。のち元禄元年(1688年)12月越訴の罪で磔刑となった[1]。
利右衛門はのち義民として語り継がれ、高畠町立二井宿小学校の校庭内には利右衛門を祀った碑(義民高梨利右衛門酬恩碑)がある[2]。