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萬年社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高木貞衛から転送)
株式会社萬年社
Man-Nen-Sha Inc.[1]
旧・本社ビル
ジャパン本社に転用後・現在は解体済み)
種類 株式会社
本社所在地 541-0047
大阪府大阪市中央区淡路町1-5-13[2]
設立 1890年6月1日[3]
業種 サービス業
関係する人物 高木貞衛(創業者)
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株式会社萬年社(まんねんしゃ)は、かつて大阪市中央区に本社を構えていた大阪最古の広告代理店である[4]。1890(明治23)年創業し、戦前は「東の電通、西の萬年」と称され、多くの広告人を育てたが、1999(平成11)年に自己破産した[4]

概要

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萬年社京都支社(設計:宗建築事務所大倉三郎、建物は現存しない)

1890年に元新聞記者だった高木貞衛によって広告取次業として設立。地元紙「大阪毎日新聞(現:毎日新聞大阪本社)」の広告を一手に扱う代理店として始まり[4]、その後「大阪朝日新聞(現:朝日新聞大阪本社)」とも提携し、全国紙化に多大な貢献を残し、一気にその勢力を拡大。大正時代には雑誌「広告論叢」「広告年鑑」を刊行。こうした大阪での活動を足がかりに全国的企業に発展した。

しかし、戦後は電通などに最大手の座を譲って徐々に地位が低下、平成期には上位10社圏外となる。

さらに東京一極集中により、在阪局が製作し、かつプライムタイムで放送される全国ネットテレビ番組に在阪局の東京支社が主要製作者として関与するのが珍しくなくなった[注釈 1]のに加え、関西本社を置いていたスポンサー企業が相次いで東京に移転して経営が悪化したのに加え、それに伴う不渡りなどの影響からおよそ150億円ほどの負債を抱え、1999年に自己破産を申請して倒産した。

なお同社の所蔵資料は大阪中之島美術館が購入・保管しており、大阪メディア文化史研究会[5]大阪市立大学(現在の大阪公立大学)を拠点に分析作業を進めている[6]

本社ビル(泊園書院跡地[注釈 2]に1971年竣工[8])はディスカウントストアジャパンスギホールディングス傘下)が買い取り、スギホールディングスに吸収合併されるまで同社の本社としていた。

創業者

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創業者の高木貞衛(さだえ、1857-1940)は、徳島藩士・高木真蔵の長男に生まれ、藩校で学んだのち東京に遊学、大阪日報(のちの大阪毎日新聞)などの記者をへて、32歳で万年社を設立[9]。明治42年に広告取引の実際を欧米で見聞し、「広告年鑑」を創刊するなど広告研究の基礎を築いた[10]。キリスト教徒でもあり、日本基督教団大阪教会執事、日本組合基督教会理事、同志社理事なども務めた[9]。長男・高木貞二の岳父に麒麟麦酒社長の伊丹二郎、親戚には小川䤡吉(明治製糖会長)、河西豊太郎大倉和親らがいる[11]。高木が蒐集・記録した膨大な広告資料は万年社破産時に有志により買い取られ、大阪市に寄付された[4]

歴代スタッフ

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  • 穴見薫
鉄腕アトム』を担当。萬年社を経て虫プロダクション常務取締役。妻は同じ虫プロでアニメーター中村和子
コピーライターとして在籍していた時期あり。後に作詞家に転向。1980年代に数多くのヒットソングを世に送り出したことで彼の名を有名とした。
  • 衛藤 公彦えとう きみひこ
1930年8月29日生[12]大分県出身[12]法政大学法学部卒業[12]。1955年に萬年社入社。テレビ制作部長・媒体局長として『正義を愛する者 月光仮面』(1972年)・『愛の戦士レインボーマン』(1972年)・『まんが日本昔ばなし』(1975年)などを担当した[12]
萬年社倒産後、萬年社のテレビ作品の版権管理会社「有限会社エム・シー・シー」を設立し代表取締役となった[12]
2003年8月に死去。衛藤の逝去後、エム・シー・シーに関与していた「安田清彦」が経営を引き継いでいる[13]
退社後はテレビのクイズ番組等の構成を手がけた。
  • 中川静
神戸高等商業学校教授。

メディア関与作品

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バラエティ・クイズ番組

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アニメ

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特撮・テレビドラマ

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ビデオ

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関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 在阪局の本社が主要製作者のプライムタイム向け全国ネットテレビ番組は『キスだけじゃイヤッ!』(よみうりテレビ)の放送が終了した2006年以降、一本も製作されていない状況である。
  2. ^ このため、同ビルにはその旨の碑が立てられていた[7]

出典

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  1. ^ 100年史 1990, p. 513
  2. ^ 100年史 1990, p. 456
  3. ^ 100年史 1990, p. 466
  4. ^ a b c d 広告代理業黎明期の知られざる記録―『萬年社創業録』の「発掘」とその史的価値木原勝也、「広告科学 第57集」
  5. ^ 大阪メディア文化史研究会サイト
  6. ^ 萬年社コレクション 調査研究プロジェクト
  7. ^ 100年史 1990, p. 323
  8. ^ 100年史 1990, p. 324
  9. ^ a b 高木貞衛『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  10. ^ 高木貞衛コトバンク
  11. ^ 高木貞衛『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  12. ^ a b c d e 『レインボーマン ダイヤモンド・アイ コンドールマン大全』双葉社、2002年7月30日、62頁。ISBN 4-575-29442-X 
  13. ^ [1]個人HP「WILD7 WORLD on WEB」内「衛藤さんを偲ぶ」より(安田本人からの寄稿)
  14. ^ キングレコード発売のシングル盤(K06S-3043)ジャケットに掲載された、当時の著作権表記より。
  15. ^ 100年史 1990, pp. 385–386

参考文献

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  • 萬年社100年史編纂委員会(編)『萬年社広告100年史』萬年社、1990年6月1日。 

外部リンク

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