高岡忠弘
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高岡 忠弘 たかおか ただひろ | |
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生年月日 | 1899年4月20日 |
出生地 |
日本 新潟県十全村 (後の旧村松町、現五泉市) |
没年月日 | 1972年10月23日(73歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部 |
所属政党 |
(日本進歩党→) 民主党 |
親族 | 高岡大輔(弟) |
高岡 忠弘(たかおか ただひろ、1899年(明治32年)4月20日[1] - 1972年(昭和47年)10月23日[1][2])は、昭和期の林業指導者、実業家、政治家。衆議院議員、新潟県中蒲原郡十全村長、同村松町長。
経歴
[編集]新潟県[2]中蒲原郡十全村別所(村松町別所[1]を経て現五泉市)で、高岡忠興の長男として生まれる[3]。1922年(大正11年)家督を相続[3]。1924年(大正13年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業[1][2][3]。農業を営む[3]。
新潟県森林組合連合会長、同林業団体連絡協議会長、新潟木工 (有)専務取締役、北日本航空工業取締役社長、北越木材工業取締役社長などを務めた[2]。
政界では、十全村長、新潟県会議員、同参事会員、大政翼賛会新潟県支部参与、新潟県社会教育委員長などを務めた[1][2][3]。
1946年(昭和21年)4月、第22回衆議院議員総選挙に新潟県第1区から日本進歩党公認で立候補して次点で落選[4]。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙に新潟県第2区から民主党公認で出馬して当選し[5]、衆議院議員に1期在任した[2]。以後、第24回総選挙、1953年(昭和28年)4月の第3回参議院議員通常選挙(全国区)に立候補したがいずれも落選した[6]。
その後、村松町長(2期)、十金土地改良区理事長などを務めた[1][2]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
- 牧田利平編『越佐人物誌 補遺編』野島出版、1974年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。