高山市立山王小学校
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高山市立山王小学校 | |
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北緯36度07分46秒 東経137度15分35秒 / 北緯36.129444度 東経137.259806度座標: 北緯36度07分46秒 東経137度15分35秒 / 北緯36.129444度 東経137.259806度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 高山市 |
設立年月日 | 1874年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B121220300056 |
所在地 | 〒506-0824 |
岐阜県高山市片野町6-400 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
高山市立山王小学校(たかやましりつ さんのうしょうがっこう)は、岐阜県高山市にある小学校。
校区
[編集]全て高山市内。
- 片野町
- 石浦町
- 森下町
- 神明町
- 上一之町
- 上二之町
- 上三之町
- 片原町
- 城山町
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)3月 -
- 千島村に千島学校が開校。校区は片野村、石浦村、千島村。
- 七日町村に灘学校が開校。校区は西之一色村、七日町村、花里村、上岡本村、下岡本村、桐生村。
- 1875年(明治8年)1月31日 - 大野郡灘郷、大八賀郷のうち23ヶ村[注釈 1]が合併し、大名田村となる。
- 1878年(明治11年) - 灘学校の新校舎が飛騨国分寺境内に完成。
- 1886年(明治19年) - 千島学校が千島簡易科小学校、灘学校が灘簡易科小学校に、それぞれ改称する。
- 1888年(明治21年) - 千島簡易科小学校が千島尋常小学校、灘簡易科小学校が灘尋常小学校に、それぞれ改称する。
- 1892年(明治25年)5月19日 - 大名田村が、大名田村[注釈 2]、灘村[注釈 3]、大八賀村[注釈 4]に分離する。
- 1897年(明治30年) - 千島尋常小学校と灘尋常小学校を統合し、大名田尋常小学校となる。大八賀村に委託[注釈 5]していた江名子地区の児童が大名田尋常小学校へ転入する。
- 1901年(明治34年)9月 - 江名子分教場を設置。
- 1902年(明治35年) - 大名田尋常高等小学校に改称する。
- 1904年(明治37年) - 農業補習学校を併設する。
- 1923年(大正12年)10月10日 - 大名田村が町制施行。大名田町となる。
- 1929年(昭和4年) - 大名田第二尋常小学校が分離。これに伴い、大名田尋常高等小学校は大名田第一尋常高等小学校に改称する。江名子分教場は大名田第一尋常高等小学校江名子分教場となる。
- 1936年(昭和11年)
- 1941年(昭和16年) - 第一尋常高等小学校は第一国民学校、第二尋常小学校は第二国民学校に、それぞれ改称する。
- 1943年(昭和18年) - 第一国民学校が現在地に移転。
- 1944年(昭和19年) - 第二国民学校が廃校。児童は第一国民学校に転入する。第二国民学校の校舎と敷地は、そのまま岐阜県立高山航空工業学校[注釈 6]となる[注釈 7][注釈 8]。
- 1947年(昭和22年) - 高山市立第一小学校に改称する。江名子分教場は高山市立第一小学校江名子分校に改称する。
- 1950年(昭和25年) - 高山市立山王小学校に改称する。江名子分校は高山市立江名子小学校として独立する。
- 1956年(昭和36年) - 高山赤十字病院内に養護学級を開設。
- 1967年(昭和42年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造4階建)が完成。以降1975年まで増築し、現在の東舎となる。
- 1978年(昭和53年) - 校舎(現・西舎)が完成。
- 1988年(昭和63年) - 花里小学校が分離。
- 1994年(平成6年) - 開校120周年。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 上岡本村、松本村、下岡本村、桐生村、本母村、冬頭村、片野村、石浦村、千島村、花里村、西之一色村、七日町村、江名子村、三福寺村、松之木村、五名村、漆垣内村、大洞村、塩屋村、山口村、大島村、岩井村、滝村
- ^ 片野村、石浦村、千島村、花里村、西之一色村、七日町村、江名子村
- ^ 上岡本村、松本村、下岡本村、桐生村、本母村、冬頭村
- ^ 三福寺村、松之木村、五名村、漆垣内村、大洞村、塩屋村、山口村、大島村、岩井村、滝村
- ^ 山口尋常小学校(後の高山市立大八小学校山口分校)。
- ^ 現・岐阜県立高山工業高等学校。
- ^ 第二国民学校の校舎は1944年から1947年まで高山航空工業学校(高山工業高校の前身)として使用された後、1948年から1961年は高山市立第三中学校と使用された。その後、建物は市民会館、市立図書館などに使用された。敷地は2018年現在、総合福祉センター、昭和児童公園となっている。
- ^ 1973年に岐阜県立斐太実業高等学校が農工分離により高山工業高校が創立されたさい、斐太実業高校の校地(千島町)が高山工業高校に引き継がれている。
出典
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参考文献
[編集]- 高山市史 下巻(高山市 1953年)P.56 - 85
- 大八賀村史 全(大八賀財産区 1971年)P.653 - 689
- 大名田のあゆみ(大名田のあゆみ編集委員会 1989年)P.9 - 10 P.13 - 15 P.59 - 118 P.139 - 143