コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

高山市立久々野小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高山市立久々野小学校
船山から望む高山市立久々野小学校(2017年3月25日撮影)
地図北緯36度03分33秒 東経137度16分11秒 / 北緯36.05907度 東経137.26965度 / 36.05907; 137.26965座標: 北緯36度03分33秒 東経137度16分11秒 / 北緯36.05907度 東経137.26965度 / 36.05907; 137.26965
国公私立の別 公立学校
設置者 高山市
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学校コード B121220300154 ウィキデータを編集
所在地 509-3205
岐阜県高山市久々野町久々野1772
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

高山市立久々野小学校 (たかやましりつ くぐのしょうがっこう)は、岐阜県高山市にある公立小学校

校区は高山市久々野町全域(旧・久々野町)である。

沿革

[編集]
  • 1873年(明治6年) - 御母衣学校が開校。
  • 1875年(明治8年) - 宮村、阿多粕村、渚村、長淀村、木賊洞村、引下村、小坊村、有道村、無数河村、山梨村、久々野村、山之口村が合併し、位村となる。
  • 1879年(明治12年) - 渚学校の校区での引下、小坊、有道地区を委託される。
  • 1883年(明治16年)10月 - 位村が分立し、宮村、久々野村[注釈 1]山之口村河内村[注釈 2]になる。
  • 1887年(明治20年) - 久々野尋常小学校に改称する。
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 久々野村と河内村が合併し、久々野村が発足。
  • 1898年(明治31年) - 渚尋常小学校校区の引下、小坊、有道地区が、久々野尋常小学校の校区に正式に変更。有道地区に有道出張所を設置。
  • 1900年(明治33年) - 久々野尋常高等小学校に改称する。
  • 1904年(明治37年) - 農業補習学校を併設する。
  • 1910年(明治44年) - 有道出張所が有道分校に改称する。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 久々野国民学校に改称する。
  • 1942年(昭和17年)9月17日 - 校舎を全焼。民家等で分散授業を行う。
  • 1946年(昭和21年) - 校舎を新築する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 久々野村立久々野小学校に改称する。久々野中学校を併設。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 久々野村が町制施行し、久々野町となる。同時に久々野町立久々野小学校に改称する。
  • 1962年(昭和37年)4月 - 久々野中学校との併設が解消され、単独校となる。
  • 1963年(昭和38年)3月 - 有道分校を廃止。
  • 1966年(昭和41年)3月 - 渚小学校を統合する。
  • 1972年(昭和47年)3月 - 大西小学校を統合する。
  • 1980年(昭和55年) - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
  • 2005年(平成17年)2月1日 - 久々野町が高山市に編入される。同時に高山市立久々野小学校に改称する。

脚注

[編集]
  1. ^ 旧・無数河村、山梨村、久々野村。
  2. ^ 旧・阿多粕村、渚村、長淀村、木賊洞村、引下村、小坊村、有道村。


参考文献

[編集]
  • 久々野町史 第三巻 近代 (久々野町史刊行委員会編 2010年) P.251 - 290
  • 久々野町史 第四巻 現代 (久々野町史刊行委員会編 2010年) P.217 - 242

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]