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久々野町立渚小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
久々野町立渚小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 久々野町
設立年月日 1873年
閉校年月日 1966年
共学・別学 男女共学
所在地 509-3213[注釈 1]
岐阜県高山市久々野町渚748[注釈 2]
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久々野町立渚小学校 (くぐのちょうりつ なぎさしょうがっこう)は、かつて岐阜県大野郡久々野町(現・高山市)に存在した公立小学校

概要

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沿革

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  • 1873年(明治6年) - 渚村に渚学校として開校。阿多粕村、渚村、長淀村、木賊洞村、引下村、小坊村、有道村の児童が通学する。
  • 1875年(明治8年) - 宮村、阿多粕村、渚村、長淀村、木賊洞村、引下村、小坊村、有道村、無数河村、山梨村、久々野村、山之口村が合併し、位村となる。
  • 1879年(明治12年) - 引下、小坊、有道地区を、御母衣学校へ委託。
  • 1883年(明治16年)10月 - 位村が分立し、宮村、久々野村[注釈 4]山之口村河内村[注釈 5]になる。渚学校は河内村の学校となる。引下、小坊、有道地区は引き続き久々野村の御母衣学校に委託する。
  • 1887年(明治20年) - 渚簡易科小学校に改称する。
  • 1888年(明治21年) - 渚尋常小学校に改称する。
  • 1897年(明治30年)4月1日 -
    • 久々野村と河内村が合併し、久々野村が発足。
    • 引下、小坊、有道地区が、久々野尋常小学校校区へ正式に変更。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 渚国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 久々野村立渚小学校に改称する。渚中学校を併設。
  • 1951年4月1日 - 久々野村が町制施行し、久々野町となる。同時に久々野町立渚小学校に改称する。
  • 1960年(昭和35年)4月 - 町内の中学校の統合により渚中学校が廃校。久々野中学校渚分教場を併設する。
  • 1962年(昭和37年)11月 - 久々野中学校渚分教場を廃止。単独校となる。
  • 1966年(昭和41年)

脚注

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  1. ^ 現在の郵便番号
  2. ^ 現在の住所表記
  3. ^ 1965年11月21日に岐阜県立斐太実業高等学校朝日分校の校舎が全焼したため、代わりの校舎としてである。
  4. ^ 無数河・山梨・久々野。
  5. ^ 阿多粕・渚・長淀・木賊洞・引下・小坊・有道。
  1. ^ 久々野町史 第四巻 現代 (久々野町史刊行委員会編 2010年) P.220 - 221

参考文献

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  • 久々野町史 第三巻 近代 (久々野町史刊行委員会編 2010年) P.251 - 290
  • 久々野町史 第四巻 現代 (久々野町史刊行委員会編 2010年) P.217 - 242

関連項目

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