久々野町立渚小学校
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久々野町立渚小学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 久々野町 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 1966年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒509-3213[注釈 1] |
岐阜県高山市久々野町渚748[注釈 2] | |
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久々野町立渚小学校 (くぐのちょうりつ なぎさしょうがっこう)は、かつて岐阜県大野郡久々野町(現・高山市)に存在した公立小学校。
概要
[編集]- 大野郡久々野町の南部(旧・大野郡河内村の一部)の小学校であり、阿多粕、渚、長淀、木賊洞が校区であった1966年、久々野小学校に統合され廃校。
- 廃校後、校舎は1966年4月から1971年3月まで岐阜県立斐太実業高等学校朝日分校渚教室[注釈 3][1]として使用された。2018年現在、跡地は高山市渚体育館となっている。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年) - 渚村に渚学校として開校。阿多粕村、渚村、長淀村、木賊洞村、引下村、小坊村、有道村の児童が通学する。
- 1875年(明治8年) - 宮村、阿多粕村、渚村、長淀村、木賊洞村、引下村、小坊村、有道村、無数河村、山梨村、久々野村、山之口村が合併し、位村となる。
- 1879年(明治12年) - 引下、小坊、有道地区を、御母衣学校へ委託。
- 1883年(明治16年)10月 - 位村が分立し、宮村、久々野村[注釈 4]、山之口村、河内村[注釈 5]になる。渚学校は河内村の学校となる。引下、小坊、有道地区は引き続き久々野村の御母衣学校に委託する。
- 1887年(明治20年) - 渚簡易科小学校に改称する。
- 1888年(明治21年) - 渚尋常小学校に改称する。
- 1897年(明治30年)4月1日 -
- 久々野村と河内村が合併し、久々野村が発足。
- 引下、小坊、有道地区が、久々野尋常小学校校区へ正式に変更。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 渚国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 久々野村立渚小学校に改称する。渚中学校を併設。
- 1951年4月1日 - 久々野村が町制施行し、久々野町となる。同時に久々野町立渚小学校に改称する。
- 1960年(昭和35年)4月 - 町内の中学校の統合により渚中学校が廃校。久々野中学校渚分教場を併設する。
- 1962年(昭和37年)11月 - 久々野中学校渚分教場を廃止。単独校となる。
- 1966年(昭和41年)
- 3月20日 - 廃校式。
- 3月31日 - 久々野小学校に統合され廃校。
脚注
[編集]- ^ 久々野町史 第四巻 現代 (久々野町史刊行委員会編 2010年) P.220 - 221
参考文献
[編集]- 久々野町史 第三巻 近代 (久々野町史刊行委員会編 2010年) P.251 - 290
- 久々野町史 第四巻 現代 (久々野町史刊行委員会編 2010年) P.217 - 242
関連項目
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