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高天彦神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高天彦神社


本殿

地図
所在地 奈良県御所市北窪158
位置 北緯34度25分5秒 東経135度41分45.4秒 / 北緯34.41806度 東経135.695944度 / 34.41806; 135.695944 (高天彦神社)座標: 北緯34度25分5秒 東経135度41分45.4秒 / 北緯34.41806度 東経135.695944度 / 34.41806; 135.695944 (高天彦神社)
主祭神 高皇産霊神
市杵嶋姫命
菅原道真
神体 白雲岳(神体山
社格 式内社名神大
村社
創建 不詳
本殿の様式 流造
別名 彦沢権現
例祭 10月5日[1]
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高天彦神社(たかまひこじんじゃ)は、奈良県御所市北窪にある神社式内社名神大社)で、旧社格村社

祭神

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祭神は次の3柱[1]

延喜式神名帳での祭神は1座。元々は当地の地主神の「高天彦」を祀ったものと推測される[2]

社名・神名の「高天(たかま)」は一帯の地名でもあり、神話に見える高天原の伝承地とする説が古くからあるほか、高皇産霊神の神名の転訛が由来とする説、高皇産霊神の別名が「高天彦神」とする説、「高間」すなわち金剛山中腹の平地を意味するとする説がある[1]。『万葉集』では、「葛城の高間」と詠まれた歌が知られる(巻7 1337番)[2]。『延喜式』神名帳では宇智郡に高天岸野神社・高天山佐太雄神社が見え、いずれも五條市の金剛山中腹の神社に比定されることから、「高天彦神」を金剛山の神霊そのものとする説もある[2]

歴史

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概史

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白雲岳(神体山
画像左下に高天彦神社境内。

創建は不詳。金剛山東麓に鎮座し、元々は社殿後背の白雲岳(白雲峰、標高985メートル)を神体山に祀った神社とされる[3][4]

新抄格勅符抄大同元年(806年)牒には「高天彦神 四戸大和国 宝亀十年奉充」として、宝亀10年(779年)に大和国内から充てられた神戸の存在が記されている[1]

国史では、大同元年(806年)に正四位上の神階にある「高天彦神」が吉野大后(井上内親王)の願いで四時幣帛に預かったと見えるが、内親王と当社の関係は明らかでない[2]。その後承和6年(839年)には従三位の「高天彦神」が名神に列したこと、また天安3年(859年)には従二位勲二等に昇叙された旨が記されている[1]

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では大和国葛上郡に「高天彦神社 名神大 月次相嘗新嘗」として、名神大社に列するとともに朝廷の月次祭相嘗祭新嘗祭に際しては幣帛に預かった旨が記載されている[1]

その後の変遷は不詳。高天の地は金剛山への登山口であるため、葛城修験道の発展とともに文人・俳人が高天を訪れたと伝えるほか、当社は「彦沢権現」とも称されたという[1]。また神社東側には、神宮寺の高天寺があった[2]

明治維新後、近代社格制度では村社に列している[4]。現在の本殿は明治10年(1877年)に竣工したものである。竣工当時は茅葺き屋根だったが、昭和52年(1977年)に石州瓦の屋根に葺き替えられ、更に令和元年(2019年)にはガルバリウム鋼板の屋根に葺き替えられた。

神階

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脚注

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参考文献

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  • 境内説明板
  • 地方自治体史
    • 『奈良県史 5 神社』名著出版、1989年。ISBN 462601335X 
  • 百科事典
  • その他書籍
    • 池田末則 著「高天彦神社」、式内社研究会編 編『式内社調査報告 第2巻』皇學館大学出版部、1982年。 
    • 木村芳一 著「高天彦神社」、谷川健一編 編『日本の神々 -神社と聖地- 4 大和』白水社、1985年。ISBN 4560022143 

関連項目

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外部リンク

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