館山日東バス
本社営業所(館山駅前) | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
略称 | 館山日東・館日 |
本社所在地 |
日本 〒294-0045 千葉県館山市北条2201-1 |
設立 | 1994年4月25日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 5040001073838 |
事業内容 |
路線バス事業 貸切バス事業 特定バス事業 運行管理請負業 |
代表者 | 代表取締役社長 平野直[1] |
資本金 | 5,000万円 |
純利益 | 795万7000円(2020年03月31日時点)[2] |
総資産 | 1億2806万5000円(2020年03月31日時点)[2] |
従業員数 | 50名 |
主要株主 | 日東交通 |
外部リンク | http://www.tateyamanitto.co.jp/ |
館山日東バス株式会社(たてやまにっとうバス)は、千葉県館山市周辺で一般路線バス、高速バス、貸切バスを運行していたバス事業者である。主に館山市周辺および南房総市・鴨川市以南を担当していた。
1994年10月、日東交通館山営業所を分社化し地域子会社として設立。2020年10月1日、鴨川日東バスと共に日東交通に吸収合併された[3]。
沿革
[編集]- 1994年(平成6年)
- 1998年(平成10年)12月5日 - 日東交通グループ共同で環境定期券制度を導入する。
- 2002年(平成14年)6月1日 - 定期観光バス「南房号」(JRバス関東と共同運行)を廃止する。
- 2011年(平成23年)7月1日 - 日東交通グループ共同でノーカー・サポート優待証制度を導入する[4]。
- 2014年(平成26年)4月1日 - 消費税率引き上げに伴い、運賃を改定。
- 2020年(令和2年)10月1日 - 鴨川日東バスと共に日東交通に吸収合併[3]。
現行路線
[編集]2020年10月1日付で日東交通に吸収合併された時点での担当路線。
高速バス
[編集]高速バス事業への参入は、日東交通、鴨川日東バス、天羽日東バスに次いで4社目で、グループ内で最後発となる。
白浜・館山 - 千葉線【南総里見号】
[編集]千葉県南房総市と同県千葉市を結ぶ高速バス路線である。日東交通・ちばシティバスと共同運行。愛称は一般公募により制定され、曲亭馬琴『南総里見八犬伝に由来する。
全便先着順の座席定員制のため、予約は不要だが満席時は乗車できない。特に白浜・館山発の朝の便と千葉発の夕方の便は日によって補助席まで埋まることもある。運賃は千葉方面は乗車時(同時に目的地を申告)、館山・白浜方面は降車時に現金または回数券で支払う。
2006年(平成18年)7月21日から2007年(平成19年)7月20日まで、京成線1日乗車券と南総里見号1往復分が付いた特別企画乗車券「南房総館山・白浜ぶらりパス」を発売していた。発売額は3,000円で、有効期限内は乗車当日に限って京成線は何回でも、南総里見号運行路線内は往復1回利用できた。ただし京成線利用後(ぶらりパス裏面に利用日を印字)でないと南総里見号には乗車はできなかった。
2017年(平成29年)11月のダイヤ改正より、PASMO・Suicaによるバス利用特典サービス(バス特)が適用されるようになった。
車両は原則として、化粧室付きハイデッカー4列シート車で運行する。過去に車両都合でトイレ無し車両が使用された際には市原SAにてトイレ休憩が設けられていたが、その後は予備車を含めて全車トイレ付き車両で運行されている。
運行回数
[編集]- 安房白浜駅 - 千葉みなと駅:上り6便、下り6便(安房白浜駅発着便は館山駅前経由)
- 館山駅前 - 千葉みなと駅:上り17便、下り17便
路線沿革
[編集]- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 4月21日 - 「木更津羽鳥野バスストップ」停留所に停車開始。
- 7月5日 - 館山自動車道全通に伴い運行経路変更(所要時間短縮)。
- 2008年(平成20年)
- 4月21日 - 木更津羽鳥野バスストップ始発便新設(0.5往復・平日のみ臨時扱い)。
- 12月1日 - 20往復に増便。
- 2009年(平成21年)3月26日 - 京成バス運行便のみPASMO・Suica導入。
- 2011年(平成23年)1月30日 - 発車時刻等の見直しを実施する。
- 2012年(平成24年)12月16日 - 22往復に増便。
- 2014年(平成26年)
- 2016年 (平成28年)3月19日 - 館山日東バス運行便にPASMO・Suica導入[7] 。
- 2017年(平成29年)11月18日 - 発車時刻等の見直しを実施する。併せて、白浜側の発着地が安房白浜駅に変更、千葉側の発着地が千葉みなと駅に全て集約[8]。
- 2018年(平成30年)2月25日 - 23往復に増便。
- 2019年(令和元年)10月1日 - 同日から供用開始となる富津浅間山バスストップに停車開始[9]。
一般路線バス
[編集]自家用車の増加(モータリゼーション)などにより利用客離れに歯止めがかからず、国・県・自治体からの補助金で赤字分を補填しながら運行継続しているのが現状である。2011年(平成23年)2月には同社と館山市の連名で沿線住民に対し、路線バスの利用を呼びかける文書の回覧を実施した[10]。
市内線
[編集]館山日東バスの幹線路線で、運行区間の多くは国道127号とその旧道である県道302号館山富浦線を経由する。
近年までは、日中は平日20 - 40分間隔、休日1時間間隔の運行と、並行するJR内房線より若干本数が多かったが、減便に伴い終日ほぼ1時間に1本の運行となった。
区間便は少なく、早朝のなむや行き1本が館山駅始発であるのを除き、館山航空隊から通し運行する。また日中便に限りイオンタウン館山へ乗り入れるが、途中で海岸沿いの道路を経由する関係上、渋滞の発生しやすい年末年始やゴールデンウィークなどの期間は乗り入れない。
2009年(平成21年)10月からは南無谷にて南房総市営バス【トミー】と連絡するようになり、小浜 - 東京湾フェリー間の廃止以来続いた断線状態が解消された。
日東交通における運行再開時は、京浜急行電鉄・東京汽船(現:東京湾フェリー)と共に3社連絡ルート(京急品川 - 館山間)を形成し[11]、主に神奈川県横須賀市とフェリーを介して館山市の自衛隊各基地を往来する自衛隊関係者を輸送する役割を担っていた。また1965年(昭和40年) - 1970年(昭和45年)頃の全盛期には、6時台から20時台まで約30分間隔で運行されていた[12]。
- 館山航空隊 - 下町 - 館山駅( - イオンタウン館山) - 那古 - 船形駅前 - とみうら枇杷倶楽部 - 富浦駅前 - なむや(南無谷) - 小浜
- 1913年 (大正2年)9月 - 万歳館が安房北条(現在の館山) - 湊間の運行を開始する。
- 1923年 (大正12年)7月17日 - 房州自動車が安房北条 - 那古 - 野房間の運行を開始する。
- 1928年 (昭和3年)8月8日 - 安房合同自動車が野房 - 岩井 - 勝山 - 保田間(富浦 - 岩井 - 勝山 - 鋸山山麓間の説もある)の運行を開始する。
- 1967年 (昭和42年)12月 - ワンマン運行に移行する。
- 1989年 (平成元年)10月頃 - 小浜折返し系統を新設する。
- 2003年 (平成15年)10月1日 - 小浜 - 東京湾フェリー間を廃止する。同時に路線名を金谷線から市内線へと変更する。
- 2006年(平成18年)1月16日 - とみうら枇杷倶楽部 への乗り入れを開始する。
- 2007年(平成19年)10月1日 - ロックシティ館山(現:イオンタウン館山)への乗り入れを開始する(一部便のみ)。
- 2015年(平成27年)10月 - 収支改善のための減便により、運行間隔がほぼ1時間おきになる。
館山 - 鴨川線
[編集]安房地域の2大都市を結ぶ、鴨川日東バスとの共同運行路線である。運行区間の大半は国道128号線を介している。
一時期は利用客の減少により、分社直前の1994年(平成6年)に通し運行を廃止した経緯がある。その後2005年(平成17年)に、通し運行再開への布石となる【急行】館山駅 - 鴨川駅西口 - 亀田病院間の運行を開始した。運行開始当初は病院休診日は運休となっていた。
主に館山・南房総地区から亀田病院へ通院する患者の移動手段として運行されているため、平日日中は比較的利用客が多い。また利便性を図るため、往復割引乗車券(1,300円)を本社窓口・車内などで発売している。
- 館山駅 - 南総文化ホール前 - 安房地域医療センター - 九重駅入口 - 大井火の見前 - 古川 - 和田浦駅入口 - お花畑 - 江見駅入口 - 鴨川駅東口 - 鴨川シーワールド - 亀田病院
- 1918年(大正7年)1月 - 万歳館が安房北条 - 鴨川間の運行を開始する(4往復)。
- 1925年(大正14年) - 安房北条 - 鴨川間が廃止。
- 1927年(昭和2年) - 本橋伊助が安房北条 - 南三原間の運行を開始する。
- 1952年(昭和27年)1月 - 日東交通が館山 - 鴨川間として運行を再開する。
- 1994年(平成6年)3月16日 - 館山駅 - 鴨川駅間の通し運行を廃止、お花畑止まりとなる。同時に線名を(旧)鴨川 - 館山線から和田線へと変更する。
- 2000年(平成12年)6月1日 - 安房医師会病院(現:安房地域医療センター)への乗り入れを開始する。
- 2005年(平成17年)12月1日 - 急行路線の運行を開始する(2往復)。
- 2007年(平成19年)10月1日 - 鴨川日東バスの鴨川市内線(お花畑 - 鴨川駅 - 天津駅)と系統統合、館山駅 - 鴨川駅 - 亀田病院の直通路線となる。同時に路線名を和田線から(新)館山 - 鴨川線へと変更する(うち急行系統は1往復に減便)。
- 2014年(平成26年)10月1日 - 急行系統を廃止。
白浜 - 千倉 - 館山線
[編集]安房白浜と国道410号線を介して千倉駅を結ぶ白浜 - 千倉線と、館山駅と南房総市(旧千倉町中部)を結ぶ千倉線が、2019年(平成31年)3月に統合して誕生した路線である[13]。
前者は元はJRバス関東が運行していた路線だが、2005年(平成17年)の路線再編に伴い、 白浜 - 亀田線(廃止)・豊房経由白浜線と共に路線を譲受し、実質的に国鉄バスから路線を買い戻した形となった。移管後は利用客が少ないことなどから不採算路線となり、 一時は白浜 - 亀田線と共に廃止対象となったものの、南房総市から補助を受けることになり廃止を回避した経緯がある[13]。一方で後者は館山駅 - 千倉駅間はJR内房線と並行している。
- 館山駅 - 南総文化ホール前 - 安房地域医療センター - 九重駅前通り - 安東 - 千倉駅 - 寺庭 - 平館車庫 - 安房平磯 - 白間津 - 乙浜 - 安房白浜
- 館山駅 - 南総文化ホール前 - 安房地域医療センター - 九重駅前通り - 安東 - 千倉駅 - ゆらり - 平館車庫 - 安房平磯 - 白間津 - 乙浜 - 安房白浜
- 1922年(大正11年) - <白浜 - 千倉線>安房自動車が白浜 - 千倉間の運行を開始する。
- 1929年(昭和4年) - <千倉線>本橋伊助が安房北条 - 南三原間の支線として九重 - 牧田間の運行を開始する。
- 1933年(昭和8年)1月20日 - <白浜 - 千倉線>省営自動車が館山 - 白浜 - 千倉間の運行を開始する。同時に安房合同自動車が運行する白浜 - 千倉間を休止(翌年5月2日に廃止)。
- 2000年(平成12年)6月1日 - <千倉線>安房医師会病院(現:安房地域医療センター)への乗り入れを開始する。
- 2005年(平成17年)4月1日 - <白浜 - 千倉線>JRバス関東より移管。
- 2009年(平成21年)10月1日 - <白浜 - 千倉線>ゆらり(南房総市ちくら介護予防センター)への乗り入れを開始する(当初は金曜日・年末年始を除く一部便のみ)。
- 2019年(平成31年)3月16日 - 千倉線と白浜 - 千倉線の統合に伴い、路線名を白浜 - 千倉 - 館山線へと変更する。併せて、商業施設の密集する海岸地域経由便を新設する[13]。
コミュニティ路線
[編集]かつて運行していた一般路線バスの廃止代替バス(21条バス)に端を発する。運行形態は主に、同社で車両を用意する場合と、自治体が用意した自家用バス車両を同社が運転管理を受託する場合の2種類が存在する。
丸線
[編集]館山駅と南房総市(旧:三芳村南東部・旧:丸山町北西部)を結ぶ路線である。日中の便に限り、イオンタウン館山へ乗り入れる。
1991年(平成3年)の代替路線移行時に、当時の日東交通としては初めてイラストバスを走らせた。地の色を水色にし、沿線自治体の代表的な名所・名物が手描きで描かれていた(廃車済)[14]。また近年導入された専用車両も先代のデザインにならい、沿線自治体で生産される代表的な果物が描かれている。
- 館山駅( - イオンタウン館山) - 那古宿 - 亀ヶ原 - 三芳病院前 - 山名 - 丸農協前 - 川谷 - 細田
- 1926年(大正15年) - 安房自動車が那古船形 - 那古 - 横峯(岩崎橋) - 稲都 - 丸・石堂間(稲都線)の運行を開始する。
- 1934年(昭和9年) - 渡辺定治が船形 - 石堂間の運行を開始する。
- 1943年(昭和18年) - 船形 - 石堂間が休止(燃料不足に伴う)。
- 1950年(昭和25年)7月 - 日東交通が館山 - 那古 - 稲都 - 丸・川谷間として運行を再開する。
- 1954年(昭和29年)12月 - 丸・大井まで路線を延長する。
- 1956年(昭和31年)5月1日 - 山名への乗り入れを開始する。
- 1966年(昭和41年)4月 - 細田まで路線を延長する。
- 1976年(昭和51年) - 第2種生活路線に指定され、国・県・自治体補助での運行となる[14]。
- 1985年(昭和60年)10月1日 - 自由乗降(三芳局前 - 細田間)を開始する。
- 1991年(平成3年)10月1日 - 代替路線に移行する。同時にメロディバスを導入する(現在は終了)。
- 2007年(平成19年)5月28日 - ロックシティ館山(現:イオンタウン館山)への乗り入れを開始する(一部便のみ)。
- 2008年(平成20年)9月1日 - 山名系統が川谷系統に統合される。
平群線
[編集]館山駅と南房総市(旧:三芳村北部、旧:富山町東部)を結ぶ路線である。日中便に限りイオンタウン館山へ乗り入れる。
運行車両は沿線自治体を代表する花々が描かれたイラストバスが就役する。一方で2008年(平成20年)8月まで運行されていた府中台経由便(1往復のみ)は、館山市と南房総市(旧:三芳村)との市境で車の離合が困難な道幅の狭い区間を走行していた。
- 館山駅( - イオンタウン館山) - 那古宿 - 亀ヶ原 - 三芳病院前 - 滝田郵便局 - 不寝見川 - 平群車庫
- 1926年(大正15年) - 安房自動車が安房北条 - 府中 - 横峯(岩崎橋) - 滝田 - 平群天神宮間の運行を開始する。
- 1952年(昭和27年)7月14日 - 日東交通が館山 - 横峯 - 不寝見川 - 平群 - 金束間として運行を再開する。
- 1956年(昭和31年)12月22日 - 横峯 - 土沢間が三芳村役場経由となる(運行経路の置換に伴う)。
- 1959年(昭和34年)1月1日 - 天神郷 - 瀬波戸間を延長する。
- 1961年(昭和36年)7月10日 - 荒川峠まで路線を延長する。
- 1969年(昭和44年)5月1日 - 大畑への乗り入れを開始する。
- 1985年(昭和60年)10月1日 - 自由乗降(三芳局前 - 荒川間)を開始する。
- 1989年(平成元年)10月1日 - 代替路線に移行する。
- 1997年(平成9年)10月1日 - 平群車庫 - 荒川間を廃止(現在、同区間は南房総市営(旧富山町営)バスが代替運行)。
- 2007年(平成19年)5月28日 - ロックシティ館山(現:イオンタウン館山)への乗り入れを開始する(一部便のみ)。
- 2008年(平成20年)9月1日 - 府中台経由便を廃止する。
豊房経由白浜線
[編集]館山駅と県道86号線を介して安房白浜を結ぶ路線である。
他社も含めて、館山と白浜を結ぶ既存路線の中では最短ルートとなっている。
- 館山駅 - 下真倉 - 豊房 - 安房中山 - 下神余 - 長尾橋 - 野島崎灯台口 - 安房白浜
南房総市混乗バス・北三原線
[編集]南房総市から委託を受けて、旧北三原線の代替として運行している路線である。
従来運行されていた北三原線は既存のスクールバスと一部区間が重複していたため、安全を目的に同一車両に一般客・通学児童が同乗するという、スクールバスを使った混乗バスとして再編された。
- 嶺南学園 - 南三原駅 - 福祉センター - 唐ヶ作 - 北三原 - 上三原
- 2008年(平成20年)9月1日 - 運行を開始する。
- 2019年(平成31年)4月1日 - 南三原駅 - 嶺南学園間を延長する[16]。
鋸南町営循環バス
[編集]鋸南町からの委託を受け、旧佐久間線・旧保田線の一部区間の代替として運行している路線。専用車両は運行開始年にちなんで「2002」という希望ナンバーを取得している。また、バス停留所にはそれぞれナンバリングが付されている。
2007年12月からは、毎年12月から翌年2月まで「水仙まつり」開催に合わせて、区間運行(保田駅 - 大崩間)の臨時便も運行されるようになった。
2018年に車両更新した際には、車両購入に地方交付税措置のある過疎対策事業債を活用して財政負担軽減が図られた[17]。
- 《赤バス》(1)大崩⇒(8)小保田⇒(21)保田駅(⇒(17)鋸山保田口)⇒(21)保田駅⇒(29)安房勝山駅(⇒(32)岩井袋) (⇒(49)奥山)⇒(1)大崩
- 《青バス》(1)大崩(⇒(32)岩井袋) (⇒(49)奥山)⇒(29)安房勝山駅⇒(21)保田駅(⇒(17)鋸山保田口)⇒(21)保田駅⇒(8)小保田⇒(1)大崩
- 2002年(平成14年)1月1日 - 運行開始(区間便を含め、赤バス・青バス各6便)。
- 2003年(平成15年)3月1日 - 発車時刻の見直しを実施する。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 一部便の鋸山保田口・奥山・岩井袋への乗り入れを中止。
- 2005年(平成17年)6月1日 - 運行本数の見直しを実施する(赤バス・青バス各5便に減便)。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 運行本数の見直しを実施する(土曜・休日のみ、赤バス・青バス各3便に減便)。
- 2007年(平成19年)12月 - 「水仙まつり」臨時便の運行を開始する。
- 2018年 (平成30年) 9月28日_新型車両を導入[18]
- 2018年 (平成30年) 10月29日_ 一部の停留所に限り車いすリフト使用開始(予約制)[18]
その他
[編集]- 真野大黒行き臨時バス
毎年2月6日の「真野大黒天福祭」開催時のみ運行する直行路線である。出発時刻は定まっておらず、一定の乗客が集まり次第発車する「ピストン方式」を採っている。
2013年度(平成25年度)の運行を最後に休止状態にある。
- 館山駅 - 九重大井(真野大黒(高倉山真野寺)入口)
- 2009年(平成21年)2月6日 - 運行経路を変更する(真野寺周辺の道路整備完了に伴う)。
- 2010年(平成22年)2月6日 - 従来の運行経路(九重大井発着)へと変更する。
過去の路線
[編集]表記の運行区間は、廃止時点のものである。
休廃止路線
[編集]安房地域医療センター線
[編集]安房医師会病院(当時)の移転に伴う新病院開設に合わせて運行を開始した路線で、病院休診日(休日など)は全便運休となっていた。
現在は既存の館山 - 鴨川線及び千倉線が代替運行の役割を担っている。
- なむや(南無谷) - 富浦駅前 - 館山駅 - 南総文化ホール前 - 安房地域医療センター
富山線
[編集]旧富山町を東西に結ぶ路線だった。
現在は南房総市営バス【トミー】が代替運行している。
- 中央公民館 - 岩井駅 - 白井商店前 - 平群車庫 - 山田
- 中央公民館 - 検儀谷 - 井野 - 川上青年館
- 1926年(大正15年) - 房州自動車が岩井 - 平群村間を運行。
- 1952年(昭和27年)7月14日 - 日東交通が岩井 - 平群 - 金束間として運行を再開する。
- 1959年(昭和34年)1月1日 - 天神郷 - 瀬波戸間を路線延長する。
- 1961年(昭和36年)12月26日 - 瀬波戸 - 山田間及び久枝 - 井野間をそれぞれ路線延長する。
- 1965年(昭和42年)9月1日 - 井野 - 川上間を路線延長する。
- 1969年(昭和46年)12月19日 - 井野 - 川上間を廃止。
- 1985年(昭和60年)10月1日 - 自由乗降(岩井小前 - 山田間)を開始する。
- 1986年(昭和61年)10月1日 - 井野 - 久枝間を廃止。
- 1987年(昭和62年)10月1日 - 代替路線に移行する。
- 1989年(平成元年)7月1日 - 川上青年館(井野地区の東寄り)まで路線を延長する。
- 1997年(平成9年)10月1日 - 廃止。
佐久間線
[編集]保田駅・安房勝山駅と鋸南町南東部(佐久間地区)を結ぶ路線だった。また、1990年代からは保田駅 - 安房勝山駅間を急行路線として運行。現在は鋸南町営循環バスが旧保田線と統合の上、代替運行している。
- 保田駅 - 安房勝山駅 - 佐久間小前( - 大崩)- 奥山
- 1929年(昭和4年)7月1日 - 山口佐平が勝山町 - 佐久間間の運行を開始する。
- 1929年(昭和4年)10月 - 勝山駅前タクシーが勝山町 - 佐久間村役場間の運行を開始する(但し、道路修繕費用を支出する条件付き)。
- 1941年(昭和16年)7月 - 安房合同自動車に路線を譲渡する。
- 1947年(昭和22年) - 日東交通が勝山 - 佐久間間(?)として運行を再開する。川又まで路線を延長する(時期不明)。
- 1958年(昭和33年)2月1日 - 奥山まで路線を延長する。
- 1985年(昭和60年)10月1日 - 自由乗降(勝山小前 - 奥山間)を開始する。
- 1987年(昭和62年)10月1日 - 代替路線に移行する。同時に保田駅まで路線を延長する(3往復)。
- 2002年(平成14年)1月1日 - 廃止。
保田線
[編集]保田駅と鋸南町北東部を介して、鴨川市西部(金束地区)を結ぶ路線だった。現在は鋸南町営循環バスが旧佐久間線と統合の上、代替運行しているほか、2005年より当路線のルートをほぼ踏襲する形で鴨川日東バスの長狭 - 金谷線が運行されており、鴨川からの直通運転が復活した形となった。 2002年(平成14年)1月1日廃止。なお、金束 - 湯沢間は一時期、湯沢線(鴨川日東バス・天羽日東バスの共同運行)として存続していたが、2005年に鴨川日東バスが長狭 - 金谷線として鴨川からの直通運行を復活させており、湯沢線は発展的解消の形で鴨川日東バスの長狭線(当時)と統合された。
- 金束 - 湯沢 - 小保田 - 保田駅
- 1918年 (大正7年)夏頃 - 改進社が保田 - 鴨川間の運行を開始する。
- 1921年 (大正10年) - 改進社の解散により保田 - 鴨川間を廃止する。
- 1921年(大正10年)頃 - 万歳自動車(万歳館を法人化)が保田 - 鴨川間の運行を開始する[19] 。
- 1928年(昭和3年) - 三日月自動車(運行時期不明)から外房遊覧自動車(のちの外房内湾自動車)へ路線を譲渡する。
- 1951年(昭和26年)7月1日 - 日東交通が保田 - 鴨川間として運行を再開する。
- 1986年 (昭和61年)10月1日 - 自由乗降(保田小前 - 金束間)を開始する。
- 1987年(昭和62年)10月1日 - 代替路線に移行する。
- 2002年(平成14年)1月1日 - 廃止。
北三原線
[編集]南三原駅と県道186号線を介して、和田町北部を結ぶ路線だった。現在は南房総市混乗バス北三原線が同区間を代替運行している。
- 南三原駅( - 福祉センター) - 唐ヶ作 - 北三原 - 上三原
- 1927年(昭和2年) - 本橋伊助が南三原 - 北三原間の運行を開始する。
- 1956年(昭和31年)10月 - 日東交通が南三原 - 北三原間(?)として運行を再開する。
- 1962年(昭和37年)4月 - 古畑まで路線を延長する。
- 1971年(昭和46年)10月 - 上三原まで路線を延長する。
- 1982年(昭和57年)10月1日 - 自由乗降(南三原小前 - 上三原間)を開始する。
- 1987年(昭和62年)10月1日 - 代替路線に移行する。
- 2003年(平成15年)12月1日 - 外出支援リフト付きバスにて運行を開始する(事実上のコミュニティ路線化)。
- 2008年(平成20年)9月1日 - 廃止
南房総市実証運行快速バス【うらら】
[編集]南房総市の委託を受けて運行していた路線であった。
この路線は国土交通省が2008年度(平成20年度)に新設した『地域公共交通活性化・再生総合事業計画』に基づいて実証運行されていた。運行にあたっては、同市の法定委員会がこの計画に応募し、のちに国土交通省から認定を受けてコミュニティバスの運行が実現した。しかし、2011年(平成23年)実績で、利用客は年間で8751人、1日あたり24人にとどまったことから、2012年度(平成24年度)をもって実証運行を終了した[20]。
高速バス(房総なのはな号など)やJR内房線との連絡が悪かった旧三芳村・旧丸山町・旧和田町と、富浦駅・とみうら枇杷倶楽部などを県道296号線を介し直結する形で快速運行していた。
2009年(平成21年)1月15日からは利用客の要望により、那古小前(館山市) - 和田福祉センター間の自由乗降が可能となった(ただし富浦駅 - とみうら枇杷倶楽部間は停留所以外は停車しない)。また、一部の停留所では既存の路線バス(市内線・丸線・平群線など)に乗り換え可能であった。
- 《平日》 富浦駅 - 市役所 - とみうら枇杷倶楽部 ( - 那古小前) - 三芳病院前 - 三芳支所前 - 道の駅鄙の里 - 市場 - 丸山支所前 - 南三原駅 - 和田福祉センター
- 《土曜・休日》 富浦駅 - 市役所 - とみうら枇杷倶楽部 ( - 那古小前) - 三芳病院前 - 三芳支所前 - 道の駅鄙の里 - 市場 - 丸山支所前 - ローズマリー公園 - 南三原駅 - 安房拓心高校前 - 和田福祉センター
観光桟橋線
[編集]- 館山駅西口 - 渚の駅たてやま
館山駅西口と渚の駅たてやま(観光桟橋)を結んでいた路線。
2011年(平成23年)2月5日開設。通常、新規路線に関する審査手続が約3ヶ月かかるところを、館山市で行われた「地域公共交通会議」を介したことにより、2010年(平成22年)12月27日の申請から運行認可が下りるまで約1ヶ月と短縮された[22]。
しかし、運行開始当初から赤字であったことなどから運行継続が困難となり、2016年(平成28年)に開かれた同会議にて運行休止が決定された[23]。
原則として、東海汽船のジェット船など客船の乗り入れ時期や、渚の駅たてやまでのイベント開催時のみに不定期で運行される。運行本数は、おおむね朝夕1往復ずつ(ジェット船発着の場合)。また単区間で運行されることから、運賃は前払いとなっている。
- 館山駅西口 - 渚の駅たてやま
白浜 - 亀田線
[編集]安房白浜と亀田病院の間を結んでいた急行路線。かつては「くろしお号」の愛称があった。
これまで同区間は、バスとJR内房線を乗り継がなければならないため、特に亀田病院へ通院する患者は不便を強いられていた。そこで日東交通(当時)・JRバス関東が乗り継ぎ時間短縮のため運行開始した[24]。
当初は毎日運行(平日ダイヤ・休日ダイヤを個々に設定)だったが、利用客の伸び悩みなどから早い時期に休日の運行を取り止め、平日・土曜のみの運行となった。その後、利用客減少により運行継続が困難となり、2019年(平成31年)3月15日の運行をもって廃止された[13][25]。
利便性を図るため、往復割引乗車券(1,700円)を車内で発売していた。
車両
[編集]いすゞ自動車、日野自動車、三菱ふそうトラック・バス、日産ディーゼル(現:UDトラックス)の国内4メーカーの車両を揃えている。
一般路線バス
[編集]分社当初に日東交通から移管された車両は前後扉車(後扉は引戸)となっている。分社後に導入した、首都圏の他事業者からの転入車両は前中扉車(中扉は引戸)となっており、一部はノンステップバスやワンステップバスといったバリアフリー対応車両もある。
また、近年グループ外から移籍した小型車に関しては日東交通カラーに塗装されず、白一色の塗装に社名を表記するのみとなっている。
車載機器については、整理券発行機・運賃箱は小田原機器製、運賃表示器はレシップ製、車内放送装置・LED式方向幕(一部車両を除く)はクラリオン製のものをそれぞれ採用している。
高速バス
[編集]ハイデッカーの前扉車(スイングドア)が就役する。所要時間の関係上、全車に化粧室が付いている。
車載機器については、運賃箱は一水製作所製、車内放送装置・LED式方向幕はクラリオン製のものをそれぞれ採用している。
採用車種
[編集]-
一般路線バス
(同社営業所にて。画像の車両は廃車済み。) -
首都圏からの移籍車の一例
(元・川崎鶴見臨港バス、正面に中乗り表示あり) -
隣接事業者からの移籍車の一例
(元・JRバス関東館山支店、正面に後乗り表示あり。廃車済み。) -
代替バスの一例
(画像の車両は平群線専用) -
高速バス
(館山駅前にて)
脚注
[編集]- ^ “求人番号12040-07107771” (http). ハローワークインターネットサービス (2017年12月1日). 2017年12月1日閲覧。
- ^ a b 館山日東バス株式会社 第26期決算公告
- ^ a b “日東グループの会社再編に関するお知らせ”. 日東交通株式会社・館山日東バス株式会社・鴨川日東バス株式会社 (2020年9月25日). 2020年9月26日閲覧。
- ^ “路線バス 65歳以上の方に朗報!「ノーカー・サポート優待証」のサービス開始!”. トピックス. 日東交通 (2011年6月18日). 2011年7月1日閲覧。
- ^ バス各社 高速バス運賃値上げ 増税で4月から 南総里見号は定期を導入 『房州日日新聞』 2014年3月7日付。
- ^ “運行会社変更について” (PDF). 館山日東バス (2014年7月**日). 2014年7月23日閲覧。
- ^ “ICカードサービスの対応路線について” (PDF). 館山日東バス (2016年3月10日). 2016年7月15日閲覧。
- ^ “高速バス 南総里見号 ダイヤ改正のお知らせ” (PDF). 館山日東バス (2017年11月18日). 2017年11月18日閲覧。
- ^ “富津浅間山バスストップが令和元年10月1日(火曜日)から利用できます”. 富津市(2019年9月1日作成). 2019年9月6日閲覧。
- ^ “路線バスをもっと利用して 館山・市と事業者が異例の呼びかけ”. 房州日日新聞 (2011年2月16日). 2011年12月30日閲覧。
- ^ 日東交通株式会社編『創立30周年を迎えて』日東交通株式会社、1957年。
- ^ 乗客減の館山日東バス・金谷線 富浦町までで打ち切りに『朝日新聞』2003年9月30日付朝刊、千葉版。
- ^ a b c d “白浜亀田線は廃止へ 16日ダイヤ改正 館山日東バス”. 房州日日新聞 (2019年3月11日). 2019年3月12日閲覧。
- ^ a b 10月から代替バス 日東の丸線廃止で沿線市町村運行 『房州日日新聞』 1991年9月29日付。
- ^ “南房総市地域公共交通網形成計画(素案)” (PDF). 南房総市 (2015年4月14日). 2015年4月28日閲覧。
- ^ “広報みなみぼうそう2019年3月号” (PDF). 南房総市 (2019年3月14日). 2020年5月31日閲覧。
- ^ “鋸南 町営循環バス2台を更新 車いす用 リフトも イメージキャラクターを車体に”. 房州日日新聞 (2018年11月24日). 2020年5月31日閲覧。
- ^ a b “循環バスの車いす用リフトの利用について”. 鋸南町. 2019年5月14日閲覧。
- ^ 日蓮の生誕700年を記念して催された行事に合わせて開設した。
- ^ “快速バスの実証運行終了 南房総 利用低迷受け3月末で”. 房州日日新聞 (2013年3月27日). 2013年4月6日閲覧。
- ^ “実証運行快速バスうらら時刻表” (PDF). 南房総市ホームページ. 2010年5月2日閲覧。
- ^ “館山日東バス 「観光桟橋線」 館山駅西口―渚の駅結ぶ”. 房州日日新聞 (2011年2月2日). 2012年7月5日閲覧。
- ^ “平成28年度第1回地域公共交通会議” (PDF). 地域公共交通会議. 館山市 (2016年9月29日). 2017年12月14日閲覧。
- ^ 白浜、鴨川間に直通便 JRバスと日東が交代で運行 『房州日日新聞』 1991年7月2日付。
- ^ “路線バス 「白浜亀田線」 運行終了のお知らせ” (PDF). 館山日東バス (2019年2月1日). 2019年3月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 鴨川風土記編纂委員会『鴨川風土記』鴨川市立図書館、1980年。
- 鋸南町『鋸南町史』鋸南町、1969年。
- 鋸南町史編さん委員会編『鋸南町史』通史編改訂版 鋸南町教育委員会、1995年。
- 佐藤信之『房総の乗合自動車』崙書房、1988年。
- 千葉県企画部交通計画課編『千葉県の鉄道・バス』1994年版 千葉県企画部交通計画課、1994年。
- 千葉県企画部交通計画課編『千葉県の鉄道・バス』2000年版 千葉県企画部交通計画課、2000年。
- 富浦町史編さん委員会編『富浦町 史』富浦町教育委員会、1988年。
- 富山町史編纂委員会編『富山町史』史料編第1集 富山町、1988年。
- 那古史編纂委員会編『那古史』那古地区町内連合会、2007年。
- 丸山町史編集委員会編『丸山町 史』丸山町、1989年。
- 三芳村史編纂委員会編『三芳村 史』三芳村、1984年。
- 和田町史編さん室編『和田町史』通史編 和田町、1994年。