離婆多
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離婆多(りはた、梵語:Revata-khadira-vaniya、レーヴァタ・キャディラ・ヴァニヤ、音写:離波多 等他、訳:室星、室宿、仮和合 等)は、釈迦の弟子の一人である。本名は「キャデラ林に住するレーヴァタ」という意味である。
一説に、両親が室宿(和名:ついぼし、ペガサス座の第1~2星)に祈って生まれたから、レーヴァタ(室宿)と名づけられたという。また、かつて大雨に遇い、神祠に止宿した時、二鬼が現れて互いに屍を争奪するのを見て、人身の「仮和合」なるを知り、仏所に赴き出家したともいわれる。彼はマガダ国、王舎城(ラージャガハ)の北、那羅陀(ナーラダ)村の出身。舎利弗の弟とされる説も多く、兄弟の数や記載名に諸説がある。
- 父ヴァンガンタ、母サーリー、長男ウパティッサ=舎利弗、二男ウパセナ・ヴァンガンタ・プッタ、三男マハーチュンダ、四男レーヴァタ・キャディラ・ヴァニヤで、カーラ、ウパカーラ、シスパカーラという3人の甥がいた。彼は母親に結婚を勧められたが、兄の舎利弗が既に出家していたので、我も出家すべしと彼はその3人の甥を伴って家出した。晩年、盗賊と誤られて捕われ、波斯匿王の前で偈を説いたという。舎利弗から常にキャディラ林で困苦に堪えて住するを称賛された。(テーラガータ=長老の偈42、645-658、991-992)
- 舎利弗の三兄弟三姉妹にて、レーヴァタは最も幼く、父母が愛惜して家を継がせようとしたという。舎利弗は仲間の比丘衆に「父母は邪見にしてその出家を喜ばないであろうから、もしレーヴァタが来れば何時でも弟子として迎えてやってほしい」と頼んだ。レーヴァタは父母に伴われ許婚の婦の家に至る時、老いを感じて出家修行を欲し、その帰途、車から離れ精舎に走り仏弟子となったという。後にそこより30由旬を経たキャディラ林に入り応果を得た。釈迦仏は舎利弗や阿難など500人の比丘と共に彼を訪ねると、彼は仏や比丘の為に500の重閣を造ったという。(ダンマパダ=法句経の説)
- 父・檀嬢耶那(檀那達多とも、ダーニャヤナ)の下に、優波低須(舎利弗)、大膝(摩訶・倶絺羅)、純陀(仏入滅時の純陀とは別人)、姜叉頡利拔多(レーヴァタ)、闡陀、閻浮呵迦、憍陳尼、蘇達離舎那の八男おり、また一女・蘇尸弥迦がいたとする。(仏本行集経47の説)
- 父母記載なし、長男から順に、達摩、蘇達摩、優波達摩、抵沙、優波抵沙(舎利弗)、頡利拔多(仏本行集経に充当るレーヴァタか?)、優波波離拔多とする。(摩訶僧祇師説の説による)