阿部正晴
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永元年(1704年) |
死没 | 享保15年7月12日(1730年8月25日) |
別名 | 次郎七、帯刀(通称) |
官位 | 従五位下・讃岐守・美濃守 |
幕府 | 江戸幕府 中奥小姓 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
氏族 | 阿部氏 |
父母 | 父:阿部正武、母:林氏の娘 |
兄弟 | 正喬、金助、女(松平正容室)、女(松平光煕室)、正晴、正府 |
妻 | 遠山友春の娘 |
子 | 正允、娘(阿部正喬養女、井伊直存室)、信之丞、正韶 |
阿部 正晴(あべ まさはる)は、江戸時代中期の旗本。忍藩主阿部正武の三男。息子の正允が阿部正喬の養嗣子となった。
宝永元年(1704年)10月29日、父の遺領から武蔵国埼玉・男衾・秩父郡のうち新墾田5000石を分与され、寄合に列する。享保元年12月18日(1717年)、中奥小姓となり、享保3年12月18日(1719年)、従五位下・讃岐守に叙任された。享保15年(1730年)7月12日、27歳で死去した。息子の正允は前述したように正喬の養嗣子となり、三男の正韶は阿部正府の養嗣子となったため遺領は収公された。
参考文献
[編集]- 続群書類従完成会『新訂寛政重修諸家譜』第十、八木書店、1969年。