阿比留文字
阿比留文字[1] | |
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類型: | 音節文字 |
言語: | 日本語 |
発明者: | 未詳 |
時期: | 未詳(1700年頃説、538年以前説) |
親の文字体系: |
未詳
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Unicode範囲: | 割り当てなし |
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阿比留文字(あひるもじ[2][3][4])は、神代文字の一種である。
概要
[編集]対馬国の卜部氏・阿比留氏に伝わったといわれる文字で、阿比留家の文書に阿比留草文字や対馬文字と共に書かれている。江戸時代の国学者である平田篤胤が『神字日文伝』で「阿比留文字」として紹介し「日文四十七音」とも呼んだ。
阿比留文字は、漢字でいうと右側の旁にあたる部分に母音が、左側の偏にあたる部分に子音を配置し[5]、子音と母音を組み合わせることで、日本のかな五十音表に対応できる形をとっている。
また、平田篤胤が『神字日文伝上』で『釈日本紀』に述べられていた「肥人之字」であると書いたのは、篤胤が阿比留文字の草書体と考えていた「阿比留草文字」である[6]。篤胤は「阿比留草文字」は「阿比留文字」の草書体であるとしていたが、現在は一般的に別の文字であるとされる。
ハングルとの比較
[編集]阿比留文字と、朝鮮半島で使われるハングルは形が似ており、関連が指摘されている。
日本語のエ段音を表すために朝鮮語で /ɔ/(現代の発音では[ɔ])を表す字母(ㅓ)が使用されていたり、ラ行を表すために朝鮮語で /d/ を表す字母(ㄷ)を左右反転させた形が(あるいは朝鮮語で /r/ を表す字母(ㄹ)の上半分の形ともいえる)使われている。但しハングルと違い、母音字母は必ず子音字母の右に置かれる(全て下に置くものもある。竹内文書では縦文字をアメコアヒルモジという)。またハングルではヤ行 /j/ を表す子音字母はなく、/ja/、/ju/、/jo/ 全体を母音字母として表記するが、阿比留文字ではヤ行を表す子音字母が存在する。またヂ・ヅはダ・デ・ドと同様、朝鮮語で/d/を表す字母(ㄷ)で綴られている。
太古から日本と朝鮮半島には交流があった事から、ハングルは阿比留文字と何らかの関係があるのだろうとしている者もおり、国学者伴信友の『仮字本末』や、国語学者の山田孝雄の『所謂神代文字の論』においてハングルとの類似が指摘された[7]。また、成立を538年以前とする説に従うと訓民正音の公布(1446年)より前となることから、ハングルの基になったという見解を持つ人々もいるが[5]その根拠は定かではなく否定されている。
何よりこの文字がハングルの起源になれば効率的であり、また日本民族固有遺産である音素文字が古代から存在したという意味だが、以後に中国の漢字の形を参考にして新しい音節文字を作る論理的理由がない。
用途
[編集]阿比留文字による銘文が刻まれた石碑が宮崎県の円野神社、群馬県前橋市の三夜沢赤城神社にあり、また長野県安曇野市の道祖神にも刻まれている(本村の神代文字碑)。
徳島県阿波市阿波町にある岩津橋の東のたもとに阿比留文字で彫られた「鯰の歌碑」がある。碑には阿波町教育委員会の解説が設置されており、読み方は上段「スキノヲノミヤノミマヘニ ナマツノウタヨミテシロイ シニヱラシテタテマツレル」下段「ナミノマニイテテミエナム ツヌサハフイハツノフチノ ソコノナマツハ」となっている。下段の最後には他の字と異なり完全に彫り込まれていない字で「イワクモノハナカ」とある。
阿波市の観光協会によれば、「郷土の先哲、忠君愛国の歌人岩雲花香翁が孝明天皇(1831-1866)に拝謁後、全国遊説中記念に自作自筆で詩を彫刻させ、この地に建立しました。岩津の淵の主であると言われる大鯰にたとえて『日頃は目立つことなくとも一朝事あるときは社会に貢献できる人間になってほしい』」[8]となっている。阿比留文字で詩が彫られてかなりの量のテクストとなっているのは珍しい。
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赤城神社境内神代文字の碑(群馬県前橋市)
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本村の神代文字碑(長野県安曇野市)
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鯰の歌碑(徳島県阿波市阿波町)
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鯰の歌碑の末尾
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阿波町教育委員会設置の解説
脚注・参考資料
[編集]- ^ 写真のものは異体字であるアメコアヒルモジ
- ^ “コトバンク 阿比留文字とは(精選版 日本国語大辞典の解説)”. 2020年9月24日閲覧。
- ^ “コトバンク 神代文字とは(デジタル大辞泉、大辞林 第三版の解説、精選版 日本国語大辞典の解説)”. 2020年9月24日閲覧。
- ^ “コトバンク 古代文字とは(精選版 日本国語大辞典の解説)”. 2020年9月24日閲覧。
- ^ a b 竹下義朗『教科書になれなかった史実』第5章 雷韻出版 ISBN 978-4947737083
- ^ 篤胤は『釈日本紀』に肥人の字について「或乃川等字明見之」とあり、阿比留草文字に「乃川」に見える文字が存在することを根拠として「神字の草書を肥國人の書るなること疑なく」と述べた。
- ^ ほかに吾郷清彦『日本神代文字研究原典』新人物往来社、1996年など。
- ^ “古代文字「鯰の歌碑」”. 【四国・徳島県】阿波市観光協会. 2022年2月16日閲覧。