阿曽沼秀光
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時代 | 江戸時代初期 |
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生誕 | 寛永14年(1637年) |
死没 | 延宝6年2月27日(1678年4月18日) |
別名 | 通称:忠次郎、太郎左衛門 |
主君 | 毛利秀就→綱広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 藤姓足利氏流阿曽沼氏 |
父母 |
父:秋里元平 養父:阿曽沼元理 |
兄弟 | 義兄弟:就致、秀光 |
妻 |
正室:阿曽沼元理の娘 継室:毛利元宣の娘、三吉某(芸州浪人)の娘 |
子 |
秀之、女(毛利就信養女、口羽通尚室)、 女(秋里貞平養女、宍戸忠直室)、佐武義真 |
阿曽沼 秀光(あそぬま ひでみつ)は、江戸時代初期の武士。毛利氏家臣で長州藩士。父は秋里元平、養父は阿曽沼元理。
生涯
[編集]寛永14年(1637年)に秋里元平の子として生まれ、長州藩士・阿曽沼元理の娘と婚姻し婿養子となり、毛利秀就、綱広の二代に仕える。
延宝6年(1678年)2月27日に42歳で死去し、子の秀之(二郎三郎)が後を継いだ。
参考文献
[編集]- 『萩藩閥閲録』巻35「阿曽沼二郎三郎」
- 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639。OCLC 703821998。全国書誌番号:73004060。国立国会図書館デジタルコレクション