関市立洞戸小学校
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関市立洞戸小学校 | |
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北緯35度36分19秒 東経136度49分16秒 / 北緯35.605278度 東経136.821111度座標: 北緯35度36分19秒 東経136度49分16秒 / 北緯35.605278度 東経136.821111度 | |
過去の名称 | 洞戸村立洞戸小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 関市 |
設立年月日 | 1988年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B121220500125 |
所在地 | 〒501-2812 |
岐阜県関市洞戸市場248 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
関市立洞戸小学校(せきしりつ ほらどしょうがっこう)は、岐阜県関市洞戸市場にある公立小学校。
概要
[編集]- 旧・武儀郡洞戸村の小学校であり、校区は旧・洞戸村全域である。
- 現在の洞戸小学校は、1988年に旧来の洞戸小学校と洞戸北小学校を統合・新設された小学校である。1988年までの洞戸小学校は現在の岐阜県関市洞戸通元寺78‐1(旧・武儀郡洞戸村大字通元寺78-1)に存在し、跡地は洞戸保育園となっている。
沿革
[編集]洞戸小学校は1988年に洞戸小学校と洞戸北小学校を統合し、新設された小学校である。ここでは統合前の洞戸小学校を洞戸小学校〈旧〉として記述する。
- 1873年(明治6年)9月 - 武儀郡市場村に文昌義校が開校。市場村、通元寺村、片村、菅谷村、大野村、黒谷村、小坂村、栗原村の児童が通学する。
- 1874年(明治7年)
- 1875年(明治8年) -
- 文昌学校に改称する。
- 飛瀬村に飛瀬学校が開校。
- 1885年(明治18年) - 文昌学校、洞戸学校、菅谷学校を統合し、洞戸小学校となる。
- 1886年(明治19年) - 洞戸小学校が分立し、市場簡易科小学校、下洞戸簡易科小学校、菅谷簡易科小学校となる。
- 1888年(明治21年) - 市場尋常小学校に改称する。
- 1890年(明治23年) - 飛瀬学校が廃校。飛瀬村の児童は市場尋常小学校へ通学する。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 市場村、通元寺村、片村、菅谷村、下洞戸村、栗原村、飛瀬村、奥洞戸村が合併し、洞戸村が発足。
- 1898年(明治31年) - 市場尋常小学校、下洞戸尋常小学校、菅谷尋常小学校、尾倉尋常小学校、高賀尋常小学校、高見尋常小学校を統合。洞戸尋常高等小学校となる。本校は旧・市場尋常小学校に置かれ、他の学校は分教場(下洞戸・菅谷・尾倉・高賀・高見)となる。
- 1907年(明治40年) - 農業補習学校を併設。
- 1908年(明治41年) - 旧・奥洞戸村の地域の分教場(尾倉・高賀・高見)が分離し、奥洞戸尋常小学校として独立。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 洞戸国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 洞戸村立洞戸小学校〈旧〉に改称する。
- 1955年(昭和30年) - 新校舎(木造2階建)が完成。
- 1963年(昭和38年)9月 - 下洞戸分校を廃止。
- 1970年(昭和45年)3月 - 菅谷分校を廃止。
- 1984年(昭和59年)
- 1月26日 - 洞戸村村議会にて、小学校統合問題が提起される。
- 6月27日 - 村議会にて統合が決まる。
- 1988年(昭和63年)4月1日 - 現在地に統合校舎(鉄筋コンクリート造2階立)が完成。洞戸小学校〈旧〉と洞戸北小学校を統合し、洞戸村立洞戸小学校として新たに開校。
- 2005年(平成17年)2月7日 - 武儀郡洞戸村が関市へ編入される。同時に関市立洞戸小学校と改称。
通学区域
[編集]- 通学区域は、洞戸市場、洞戸通元寺、洞戸片、洞戸菅谷、洞戸小坂、洞戸大野、洞戸黒谷、洞戸栗原、洞戸飛瀬、洞戸尾倉、洞戸高賀、洞戸阿部、洞戸高見、洞戸小瀬見であり、公立中学校の進学先は関市立板取川中学校である[1]。
周辺
[編集]アクセス
[編集]- 岐阜バス 洞戸小学校停留所下車
著名な出身者
[編集]- 野村芳兵衛 - 教育者
義務教育学校の計画
[編集]参考文献
[編集]- 洞戸村史 下巻 (洞戸村史編集委員会 1997年) P.575 - 614