洞戸村立洞戸小学校下洞戸分校
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洞戸村立洞戸小学校下洞戸分校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 洞戸村 |
設立年月日 | 1874年 |
閉校年月日 | 1962年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒501-2816 |
岐阜県関市洞戸大野[注釈 1] | |
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洞戸村立洞戸小学校下洞戸分校(ほらどそんりつ ほらどしょうがっこう しもほらどぶんこう)は、かつて岐阜県武儀郡洞戸村(現・関市)に存在した公立小学校の分校。
概要
[編集]- 旧・武儀郡洞戸村大字下洞戸(現・関市洞戸大野・洞戸黒谷・洞戸小坂)が校区であった。1962年9月廃校。
- 校舎は下洞戸保育所に転用された[1]。1993年、洞戸村内の保育所の統合により下洞戸保育所は廃止され、建物は取り壊された。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)
- 2月4日 - 三楽義校開校。大野村、黒谷村、小坂村の児童が通学する。
- 5月31日 - 文昌義校の支校となり、文昌義校三楽支校となる。
- 1875年(明治8年) -
- 大野村、黒谷村、小坂村が合併し、下洞戸村が発足。
- 独立し、洞戸学校となる。
- 1885年(明治18年) - 文昌学校、洞戸学校、菅谷学校を統合し、洞戸小学校となる。
- 1886年(明治19年)11月 - 洞戸小学校が分立し、市場簡易科小学校、下洞戸簡易科小学校、菅谷簡易科小学校となる。
- 1888年(明治21年) - 下洞戸尋常小学校に改称する。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 市場村、通元寺村、片村、菅谷村、下洞戸村、栗原村、飛瀬村、奥洞戸村が合併し、洞戸村が発足。
- 1898年(明治31年) - 村内の小学校(市場尋常小学校、下洞戸尋常小学校、菅谷尋常小学校、尾倉尋常小学校、高賀尋常小学校、高見尋常小学校を統合。洞戸尋常高等小学校となる。下洞戸尋常小学校は洞戸尋常高等小学校下洞戸分教場となる。
- 1913年(大正2年)1月24日 - 校舎を新築する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 洞戸国民学校下洞戸分教場に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 洞戸村立洞戸小学校下洞戸分校に改称する。
- 1962年(昭和37年)
- 1月 - 校舎を改築。
- 9月 - 廃校。
脚注
[編集]- ^ 現在の住所表記。廃校時の住所は岐阜県武儀郡洞戸村大字下洞戸。
- ^ 広報ほらど第9号(1962年10月10日発行)。
参考文献
[編集]- 洞戸村史 (洞戸村史編集委員会 1997年) P.575 - 614
関連項目
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