洞戸村立洞戸北小学校
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洞戸村立洞戸北小学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 洞戸村 |
設立年月日 | 1873年 |
閉校年月日 | 1988年 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒501-2807 |
岐阜県関市洞戸阿部1440[注釈 1] | |
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洞戸村立洞戸北小学校 (ほらどそんりつ ほらどきたしょうがっこう)は、かつて岐阜県武儀郡洞戸村(現・関市)に存在した公立小学校。
概要
[編集]- 旧・武儀郡洞戸村奥洞戸(現・関市洞戸地区のうち洞戸阿部、洞戸小瀬見、洞戸高見、洞戸高賀、洞戸尾倉)が校区であった。1988年、洞戸小学校と統合され、洞戸小学校の新設により廃校。
- 校舎は改装され、1991年から洞戸村が運営する少年自然の家「高賀山自然の家」(2005年2月7日以降は関市立洞戸高賀山自然の家)として使用されていたが、2014年4月1日に廃止[1]され、解体された。
沿革
[編集]- 1873年(明治6年) - 尾倉村、高賀村、高見村に学校が出来る[注釈 2]。
- 1875年(明治8年) - 阿部村、老洞村、松谷村、小瀬見村、高見村、高賀村、尾倉村が合併し、奥洞戸村が発足。
- 1886年(明治19年) - 尾倉、高賀、高見の学校が、尾倉簡易科小学校、高賀簡易科小学校、高見簡易科小学校に改称する。
- 1888年(明治21年) - 尾倉簡易科小学校が尾倉尋常小学校、高賀簡易科小学校が高賀尋常小学校、高見簡易科小学校が高見尋常小学校に、それぞれ改称する。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 市場村、通元寺村、片村、菅谷村、下洞戸村、栗原村、飛瀬村、奥洞戸村が合併して洞戸村が発足。
- 1898年(明治31年) - 市場尋常小学校、下洞戸尋常小学校、菅谷尋常小学校、尾倉尋常小学校、高賀尋常小学校、高見尋常小学校を統合。洞戸尋常高等小学校となる。下洞戸、菅谷、尾倉、高賀、高見に分教場を設置。
- 1908年(明治41年) - 旧・奥洞戸村の地域の分教場(尾倉・高賀・高見)が分離し、奥洞戸尋常小学校として独立。高賀に高賀分教場を設置。
- 1913年(大正2年)
- 4月 - 農業補習学校を併設。
- 8月 - 新築移転。高賀分教場を廃止。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 奥洞戸国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 洞戸村立奥洞戸小学校に改称する。
- 1953年(昭和28年) - 敷地内に洞戸北中学校が開校。
- 1956年(昭和31年) - 新校舎(木造2階建)が完成。
- 1960年(昭和35年)4月 - 洞戸村立洞戸北小学校に改称する。
- 1988年(昭和63年)3月 - 統合により廃校。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 洞戸村史 (洞戸村史編集委員会 1997年) P.575 - 614
関連項目
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