長野県小諸商業高等学校
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長野県小諸商業高等学校 | |
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北緯36度19分47.64秒 東経138度25分18秒 / 北緯36.3299000度 東経138.42167度座標: 北緯36度19分47.64秒 東経138度25分18秒 / 北緯36.3299000度 東経138.42167度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長野県 |
学区 | 第2学区 |
校訓 |
高潔なる品性を養い 協調親和を旨とせよ 心身の鍛錬に努め 修学に専念せよ 職能に練達し 有為なる人材となれ |
設立年月日 | 1906年(小諸商工学校) |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
(全日制)商業科、会計システム科 (定時制)商業科 |
学校コード | D120220800021 |
高校コード | 20134A |
所在地 | 〒384-0028 |
長野県小諸市田町三丁目1番1号 | |
外部リンク |
公式サイト(全日制) 公式サイト(定時制) |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長野県小諸商業高等学校(ながのけんこもろしょうぎょうこうとうがっこう)は、長野県小諸市田町3丁目にある公立高等学校。略称は、「小商」(こしょう)。文化祭は「小商祭」と称し、その名称は校名に由来する。
沿革
[編集]- 1893年11月 - 小諸義塾が開校(小諸義塾が閉塾した後、在学者が小諸商工学校へ移り、同校の商業部が旧小諸義塾の校舎を使ったが、同校と小諸義塾の直接的なつながりは無い。敢えてルーツを求めるとすれば小諸実業補習学校が近い[1])。
- 1900年11月 - 小諸町立小諸実業補習学校発足。
- 1906年
- 1911年4月 - 北佐久郡に移管、北佐久郡小諸商工学校に改称。
- 1919年
- 4月 - 女子技芸部を廃止、男子商業学校となる[注 1]。
- 12月 - 長野県北佐久郡立小諸商業学校に改称。
- 1920年3月 - 甲種商業学校に昇格、長野県小諸商業学校に改称。
- 1922年4月 - 長野県に移管。
- 1938年10月5日 - 小諸商工会議所立の小諸商業夜間学校が開校。
- 1940年1月 - 小諸商業夜間学校を小諸町に移管、長野県小諸夜間商業学校に改称。
- 1942年4月 - 長野県小諸夜間商業学校を長野県に移管し、長野県小諸商業学校第二本科に改称。
- 1948年4月 - 学制改革により、長野県小諸実業高等学校となる。全日制及び定時制の商業課程、機械工作課程を設置。
- 1954年3月 - 全日制機械工作課程を廃止。
- 1955年
- 3月 - 定時制機械工作課程を廃止。
- 4月 - 長野県小諸商業高等学校に改称。
- 1999年4月 - 会計システム科を設置。
校訓
[編集]- 高潔なる品性を養い 協調親和を旨とせよ
- 心身の鍛錬に努め 修学に専念せよ
- 職能に練達し 有為なる人材となれ
教育目標
[編集]- 教育諸活動を通して、個人の尊厳と協調の精神を体得させ、 民主的な国家社会の形成者たる資質を培うとともに、専門教育により、広く国民経済における商業諸活動の担い手としての有為な人材を育成する。
出身者
[編集]- 山口又宏 - 駐レバノン特命全権大使、元ジッダ総領事
- 韮沢忠雄 - ジャーナリスト、元しんぶん赤旗編集局長
- 若林克彦 - ハードロック工業社長(入学後、転校)[要出典]
- 長谷川英憲 - 元東京都議、左翼活動家
- 小山恒三 - プロ野球(国鉄)
- 堀込基明 - プロ野球(南海)
- 渡辺静 - プロ野球(朝日軍)
- 柳沢敏幸 - 社会人野球選手、当校野球部元監督
- 小林すすむ - 俳優
- 坂口仁美 - 柔道家、2014年世界ジュニア44kg級チャンピオン
- 菊池悠希 - 女子ショートトラック選手、2018年平昌オリンピックショートトラック女子日本代表
校章
[編集]- 桜の文様に商の文字
校歌・応援歌
[編集]最寄駅
[編集]脚注
[編集]- ^ 小諸市誌編纂委員会 2003, p. 666~.
- ^ “学校沿革”. 長野県小諸商業高等学校. 2022年6月7日閲覧。
注釈
[編集]参考文献
[編集]- 小諸市誌編纂委員会『小諸市誌 近・現代篇』小諸市教育委員会、2003年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 長野県小諸商業高等学校(全日制)
- 長野県小諸商業高等学校(定時制)
- 同窓会 - ウェイバックマシン(2006年6月23日アーカイブ分)