長谷五郎
表示
はせ ごろう 長谷 五郎 | |
---|---|
生誕 |
1882年1月15日 (明治15年1月5日) 静岡県榛原郡相良町 |
死没 | ????年??月??日 |
国籍 | 日本 |
職業 | 医者、柔術家、柔道整復師 |
流派 |
天神真楊流柔術 名倉堂 |
肩書き | 東京都柔道整復師会顧問 |
配偶者 | 長谷とよ子 |
子供 | 長谷幸江子 |
親 | 長谷又三郎 |
家族 | 山口勝三郎(兄) |
長谷 五郎(はせ ごろう、1882年 - ?)は、日本の医者である。
整形外科学、名倉堂の接骨術、天神真楊流柔術を修め接骨治療の名手といわれた。
経歴
[編集]1882年1月5日(明治15年1月5日)、静岡県榛原郡相良に生まれる[1]。 阿波国出身の鉱業家であった長谷又三郎の五男である。幼少より家伝の天神真楊流柔術を長谷又三郎から学ぶ。
1883年(明治16年)兄の山口勝三郎がに四谷区荒木町に名倉堂接骨院を開き名技を以て知られていた。長谷五郎は山口勝三郎に養われ医学を修める傍ら接骨の術も修得した[1]。
山口勝三郎が死去したことにより名倉堂接骨院の後を継いだ。
鉄道省、東京市電気局、日本麦酒株式会社、華族階級の指定医を務めた。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 古林亀治郎 編『現代人名辞典』中央通信社、1912年
- 時事通信社編輯局 編『代表的人物及事業』時事通信社、1913年
- 東京府市政通信社 編『東京府市自治大鑑 前,後巻』東京府市政通信社、1926年
- 日本柔道整復師会 編『日整六十年史』社団法人日本柔道整復師会、1978年
- 綿谷雪・山田忠史 編 『増補大改訂 武芸流派大事典』東京コピイ出版部、1978年
- 日本柔道整復師会 編『接骨医学史』日本柔道整復師会、1983年
- 長谷五郎「天神真楊流柔術聞き書」,『全日整広報第2号』1970年2月1日発行,全日本柔道整復師会