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長渕剛LIVE

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長渕剛 > 作品リスト > 長渕剛LIVE
『長渕剛LIVE』
長渕剛ライブ・アルバム
リリース
録音 1980年9月17日
八王子市民会館
1980年11月26日
渋谷公会堂
1980年12月23日
千葉県文化会館
1981年1月9日
調布市グリーンホール
ジャンル ロック
ポピュラー
バラード
フォークロック
時間
レーベル 東芝EMI/エキスプレス
プロデュース 長渕剛
チャート最高順位
長渕剛 アルバム 年表
乾杯
1980年
長渕剛LIVE
1981年
夏の恋人
(1981年)
EANコード
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長渕剛LIVE』(ながぶちつよし・ライブ)は、日本のミュージシャンである長渕剛の初のライブ・アルバム

1981年3月5日東芝EMIのエキスプレスレーベルからリリースされた。『風は南から』(1979年)から『乾杯』(1980年)までのアルバム3枚から選曲されている他、ライブのみのオリジナル曲も収録されている。

オリジナル・アルバムに関して「なぜギター1本でやらないのか」という内容のファンレターが来た事を切っ掛けにリリースが決定、1980年から1981年にかけてのライブから抜粋して収録され、大半が長渕剛本人によるギター弾き語りで進められている内容となった。

オリコンチャートでは最高位4位となった。

背景

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前作『乾杯』(1980年)リリース後、長渕は単独ライブツアー「長渕剛コンサートツアー'80」を9月8日から翌1981年1月9日まで開催した。

シングル「順子/涙のセレナーデ」(1980年)がミリオンセラーを獲得し、10月5日にはそれに次ぐシングル「ヒロイン」(1980年)をアルバム『乾杯』からのシングルカットとしてリリースするも、同曲はあまり売り上げが伸びずヒットには至らなかった。

それ以外の活動として、10月よりTBSラジオにて『ナウ・ジェネレーション/長渕剛のアピール26』、ニッポン放送にて『長渕剛のひたすら60分』のパーソナリティーを務め始める。

そんな折、長渕の元に寄せられた手紙の中に「なぜレコードもギター1本でやらないのか」という投げ掛けがあったため、それに対する返答として本作のリリースが決定された[1]。長渕は「ステージは俺の姿勢と本音。いわゆる俺の裸の生きざま。レコードは一人のミュージシャンとしての音楽に対する挑戦状」という考え方を持っており、前述のハガキをきっかけに「裸の俺の生きざまをレコードで証明するとしたら、これはもうライブ盤しかない」との思いから本作のリリースに踏み切った[1]

構成

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文芸雑誌『文藝別冊 長渕剛 民衆の怒りと祈りの歌』においてライターの五井健太郎は、「八〇年から八一年までのいくつかのライブを抜粋して収録した、この時点でのベスト盤的内容のライブアルバムである本作の聴きどころは、観客たちと楽しそうにコミュニケーションをとって歌う長渕のすがたであろう」、「その場での即興の盛りあがりを存分に示すこれらの曲からは、フォークシンガーとしてののかれのライブがこのときひとつの完成を見ていたことがわかる」と表記されている[2]

リリース

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1981年3月5日東芝EMIのエキスプレスレーベルより、LPカセットテープの2形態でリリースされた。LP盤には4Pステージフォトが付属、また「乾杯」「さようならの唄」の2曲を収録したアンコールシングルが付属していた。カセット盤にはそれぞれA面とB面のラストに1曲ずつ分かれて収録されている。

1985年11月1日にはCDにて初めてリリースされたが、4Pステージフォトは省略され、「乾杯」「さようならの唄」はボーナスとして13、14曲目に収録されている。。その後2006年3月8日に24ビット・デジタルリマスター紙ジャケット仕様で再リリース、4Pステージフォトは縮刷された物が付属されている。

アートワーク

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歌詞カード、及びライナーノートは、長渕の自筆によるもので、ライナーノートには、昭和56年1月14日記載の表記がある。

このアルバムに於て、フォトグラファーに大川奘一郎の名が見られるが、後に至るまで長渕のアルバムやライブの写真は、殆どが大川の撮影によるものである。

文芸雑誌『文藝別冊 長渕剛 民衆の怒りと祈りの歌』において五井は、「セピア色のジャケット写真が渋い。流れる長髪にサングラス、シックなロングコートに垂らされたマフラーのそのすがたから漂うのは、どこか中性的な雰囲気だ。いまの長渕しか知らないファンにはかなり意外なものであろう」と表記されている[2]

批評

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専門評論家によるレビュー
レビュー・スコア
出典評価
CDジャーナル肯定的[3]
文藝別冊 長渕剛 民衆の怒りと祈りの歌肯定的[2]
  • 音楽情報サイト『CDジャーナル』では、「ギター1本で生き様を感じさせる“兄貴”の魅力にあふれた1枚だ」と評されている[3]
  • 文芸雑誌『文藝別冊 長渕剛 民衆の怒りと祈りの歌』において五井は、「今後さまざまなスタイルをとることになる歌手長渕剛のひとつの達成をしるすドキュメントであり、一曲一曲の迫真の演奏とともに、この時期のライブの熱狂を追体験させる勢いをとどめた名盤」と評されている[2]

チャート成績

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オリコンチャートでは最高位4位となり、売り上げは約11万枚となった[4]。また、2006年の再発版では最高位227位となった[5]

収録曲

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一覧

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A面
#タイトル作詞作曲時間
1.巡恋歌長渕剛長渕剛
2.順子長渕剛長渕剛
3.「ひざまくら」長渕剛長渕剛
4.「夏祭り」長渕剛長渕剛
5.祈り長渕剛長渕剛
6.「暗闇の中の言葉」長渕剛長渕剛
合計時間:
B面
#タイトル作詞作曲時間
7.「俺らの旅はハイウェイ」長渕剛長渕剛
8.二人歩記長渕剛長渕剛
9.「しゃぼん玉」(挿入曲「しゃぼん玉」)長渕剛長渕剛、中山晋平
10.帰って来いよ平山忠夫一代のぼる
11.俺らの家まで長渕剛長渕剛
12.「逆流」長渕剛長渕剛
合計時間:
アンコール・シングル
#タイトル作詞作曲時間
13.乾杯長渕剛長渕剛
14.「さようならの唄」長渕剛長渕剛
合計時間:

曲解説

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A面

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  1. 巡恋歌
    詳細は「巡恋歌」の項を参照。
  2. 順子
    詳細は「順子」の項を参照。
  3. ひざまくら
    千葉でのライブで披露された特別バージョン。観客の名前を取って即興で歌う企画があり、「ひざまくら」の歌詞をパロディで変えて歌っている。因みにこの時の観客の名前は「まさお」。後に、このライブ・バージョンがベスト・アルバムいつかの少年』(1994年)に収録されている。
  4. 夏祭り
    主に初期のライブで演奏されていた曲だが、1990年代中盤以降のライブでも割とよく演奏されるようになった。長渕曰く、スリーフィンガーピッキング奏法の代表的なもののひとつであるということ。
    なお、スリーフィンガー奏法を、ポプコン出身の先輩アーティストでもある、中島みゆきに伝授したという話もある。
  5. 祈り
    詳細は「祈り」の項を参照。
  6. 暗闇の中の言葉

B面

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  1. 俺らの旅はハイウェイ
    もともとライブでのみ歌われる楽曲であったが、後にベスト・アルバム『BEST〜風〜』(2002年)に収録されている。
  2. 二人歩記
    詳細は「二人歩記」の項を参照。
  3. しゃぼん玉 挿入曲「しゃぼん玉」
    長渕自身の主演テレビドラマ『しゃぼん玉』(1991年フジテレビ系列)の主題歌としてリリースされた「しゃぼん玉」とは全く別の曲となっている。
  4. 帰って来いよ
    松村和子の同名曲(1980年)のカバーだが、歌っている途中から「巡恋歌」の歌詞にすり変わっている。石川鷹彦バンジョーが三味線のような雰囲気を醸し出している。LP盤では曲タイトルが表記されていなかった。
  5. 俺らの家まで
    詳細は「俺らの家まで」の項を参照。
  6. 逆流

アンコール・シングル

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  1. 乾杯
    詳細は「乾杯」の項を参照。
  2. さようならの唄
    当時のライブで最後に演奏されていた曲。2000年代後半になって、再びライブの終わりに歌われることが多くなった。また、俳優の美木良介がこの歌をカバーしている。

スタッフ・クレジット

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参加ミュージシャン

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スタッフ

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  • 長渕剛 - プロデューサー
  • 陣山俊一(ユイ音楽工房) - ディレクター
  • 山里剛(ヤマハ音楽振興会) - ディレクター
  • 引田和幸(東芝EMI) - ディレクター
  • 水沢雄一(ヤマハ音楽振興会) - レコーディング・エンジニア
  • 小見俊一(ヤマハ音楽振興会) - レコーディング・エンジニア
  • 奥村誠二(東芝EMI) - レコーディング・エンジニア
  • 石塚良一 - レコーディング、ミックス・エンジニア
  • 糟谷銑司 - レコーディング・マネージャー
  • 田村仁 - 写真撮影
  • 大川奘一郎 - 写真撮影
  • 荒井博文 - デザイナー
  • 石川鷹彦 - スペシャル・サンクス
  • 谷口陽一 - スペシャル・サンクス

リリース履歴

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No. 日付 レーベル 規格 規格品番 最高順位 備考
1 1981年3月5日 東芝EMI/エキスプレス LP
CT
ETP-90041
ZT28-743
4位
2 1985年11月1日 東芝EMI/エキスプレス CD CA32-1185 -
3 2006年3月8日 東芝EMI/エキスプレス CD TOCT-25959 227位 24ビット・デジタルリマスター紙ジャケット仕様

脚注

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  1. ^ a b 長渕剛 1990, pp. 252–253- 「俺らの旅はハイウェイ……ライブ・レコードを作って」より
  2. ^ a b c d 文藝別冊 2015, p. 228- 五井健太郎「ディスコグラフィー 一九七九→二〇一五 富士の国への軌跡」より
  3. ^ a b 長渕剛 / 長渕剛 LIVE [紙ジャケット仕様] [再発]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2018年9月30日閲覧。
  4. ^ 矢吹光 1995, p. 87- 「第2章 対決! 両雄黄金の経歴」より
  5. ^ 長渕剛 LIVE|長渕剛”. オリコンニュース. オリコン. 2018年11月23日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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