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長崎市立西坂小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長崎市立西坂小学校
地図北緯32度45分23.6秒 東経129度52分19.8秒 / 北緯32.756556度 東経129.872167度 / 32.756556; 129.872167座標: 北緯32度45分23.6秒 東経129度52分19.8秒 / 北緯32.756556度 東経129.872167度 / 32.756556; 129.872167
過去の名称 西坂尋常小学校
西坂尋常高等小学校
西坂国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 長崎市
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B142210000046 ウィキデータを編集
所在地 850-0042
長崎県長崎市御船蔵町6-53
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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長崎市立西坂小学校(ながさきしりつ にしざかしょうがっこう、Nagasaki City Nishizaka Elementary School)は、長崎県長崎市御船蔵町にある公立小学校

鶴の港の別名を持つ長崎港を見下ろす西坂の丘に建っている。

概要

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歴史
1919年大正8年)に「西坂尋常小学校」として創立。数回の改編・改称を経て、2019年(平成31年・令和元年)に創立100周年を迎えた。
校章
朝日をモチーフにしたデザインを背景にして中央に「西」の文字を置いている。
校歌
1929年(昭和4年)制定。3番まであり、校名の「西坂」は2番に登場する。
通学区域
長崎市のうち、「大黒町(桜町小学校の通学区域を除く)、尾上町、八千代町、御船蔵町、浜平1丁目(銭座小学校の通学区域を除く)、浜平二丁目、西坂町、中町、筑後町、天神町(1番23~37号、14番12~15号)、銭座町(13番11・12・16・23・24・29・44号、14番11・16~19・21・22・24号か~27・31・32・34・35・37・39・46号、15番1・5・7・8・17~19・23・32・34・40号)、上銭座町(8番37~44号)」。
中学校区は長崎市立長崎中学校

沿革

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  • 1919年(大正8年)
  • 1920年(大正9年) - 保護者会により、教育勅語煥發[1]三十年記念碑が建立。題字は当時の校長 藤田孫太郎によるもの。
  • 1922年(大正11年)4月1日 - 高等科を併置し、「西坂尋常高等小学校」と改称。
  • 1929年(昭和4年)5月24日 - 校歌制定。
  • 1930年(昭和5年)10月25日 - 校舎改築。
  • 1933年(昭和8年)5月18日 - 松山城放火事件犯により放火され、第3校舎1棟全焼。
  • 1933年(昭和8年)10月30日 - 校舎復旧落成。
  • 1938年昭和13年) - 県内で初めて学校給食を開始[2]
  • 1939年(昭和14年)
  • 1940年(昭和15年)4月30日 - 西坂女子青年学校を廃止。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令に伴い、「西坂国民学校」と改称。
  • 1945年(昭和20年)
  • 1946年(昭和21年)
    • 1月21日 - 食糧事情の悪化により、2月9日までの約20日間長崎市内の国民学校が一斉に休校となる。
    • 4月2日 - 校舎焼け跡に仮設校舎落成。初等科のみ移転。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革に伴い、「長崎市立西坂小学校」(現在名)と改称
  • 1949年 (昭和24年)5月13日 - 新校舎落成(2階建・教室8)
  • 1953年 (昭和28年)9月28日 - 鉄筋コンクリート新校舎落成(教室4・職員室)
  • 1958年(昭和33年) - 児童数の増加に伴い、6学級(283名)で2部授業を実施。その後小学校新設などが行われ、次第に2部授業は解消されていく。
  • 1960年 (昭和35年) 3月31日 - 鉄筋コンクリート校舎落成(教室3)
  • 1969年(昭和44年)6月1日 - 創立50周年記念式典挙行し、聖徳太子像が建立。当時の諸谷義武長崎市長による「和をもって貴しとなす」の碑文が刻まれている。
  • 1969年(昭和44年)6月2日 - 体育館落成。
  • 1970年(昭和45年) 4月1日 - 鉄筋コンクリート校舎完成(教室3)
  • 1971年(昭和46年)3月31日 - 鉄筋コンクリート校舎完成(教室1・特別教室4・給食室)
  • 1979年(昭和54年)6月3日 - 創立60周年記念式典挙行し、長崎の彫刻北村西望の書「清心元大成」の碑が建立。
  • 1997年平成9年)5月30日 - 文部省より英語教育研究開発校に指定される。
    • 2011年度(平成23年度)に開始した小学校での英語活動の必修化に先駆け、国や県、市の指定を受け英語教育・国際理解教育を行っていた。
  • 2001年(平成13年)4月2日 - 小学校国際理解教育実践研究事業推進協力校受諾。
  • 2002年(平成14年)11月13日 - 国際観光船交流が開始。
  • 2008年(平成20年)9月1日 - 全日本小学校ホームページ大賞受賞
  • 2009年(平成21年)6月26日 - 創立90周年記念式典を挙行。
  • 2013年(平成25年)4月1日 - 西坂学童クラブ開設
  • 2017年(平成29年)4月1日 - 国立教育政策研究所指定校(体育)委託
  • 2019年
    • (平成31年)4月1日 - 県教委公募制研究指定校事業(英語活動)委託
    • (令和元年)12月1日 - 創立100周年記念式典挙行。

原子爆弾の被害

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全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML
  • 爆心地北緯32度46分24.8秒 東経129度51分47.1秒 / 北緯32.773556度 東経129.863083度 / 32.773556; 129.863083 (原爆落下中心碑))から約2.1km離れていた当時の西坂国民学校は、まず原子爆弾の投下直後に吹き上がった爆風で木造校舎が全壊し、その後長崎駅方面から延焼した火事により全焼した。投下当日、学校で防火資材の点検を行っていた教職員は校長が校長室で、その他の教職員は職員室で休憩をとっていたが、校舎倒壊とともにその下敷きとなり、全教職員がガラス刺傷、打撲傷の被害を受けた。長崎市教育委員会の調べによると、原爆投下前の在籍児童数843名と教職員25名のうち、原子爆弾で亡くなった児童は14名、教職員は1名となっている。
  • 校舎の全壊・全焼により、終戦後国民学校の授業が再開された後の校舎確保は困難を極め、現在地に仮校舎が建設されるまでの間、諏訪神社長坂での青空教室の実施や、西勝寺を間借りする授業を余儀なくされた。

その他

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アクセス

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周辺

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脚注

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  1. ^ 読みは「かんぱつ」。意味は「火が燃えるように、外に輝きあらわれること」。
  2. ^ 長崎県学校給食年表PDF) - 長崎県ウェブサイト

参考文献

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  • 市制百年 長崎年表 (1989年(平成元年)4月1日, 長崎市役所
  • 長崎市立西坂小学校創立100周年記念誌

関連事項

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外部リンク

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