錫杖経
『錫杖経』(しゃくじょうきょう)は、仏教宗門に於いては『九條錫杖』という偈または唱文を指すことが多い[1]。また末尾に「経」字を付けて『九條錫杖経』と呼ぶ事例も多く[2]、この『九條錫杖』は仏教とともに日本に渡来したといわれている[3]。その内容は、錫杖賛といった類のものであり、古来法会で使用され、端的に言えば声明等仏教音楽の歌詞である。その音楽の様式は宗教、宗派によってそれぞれ大きく異なる。現代にまで伝わっているものには、長音・切音の2種類の九条錫杖と、三条錫杖の計3曲が流布している[4][5] 。一方、大正蔵にも『錫杖経』が収録されており、具名は『得道梯橙錫杖経』[6]である。
概要
[編集]仏具としての錫杖が日本に渡来したのは、仏教が伝来した(公伝であれ私伝であれ)6世紀頃と考えられており、『錫杖経』も同時に伝来したとされる。これが現在の『九条錫杖』ではないかともされているが、しかしこれを裏付ける文献や資料は見つかっていない[7]。『九条錫杖』は錫杖賛歌といった趣旨のもので、錫杖を持すことの功徳が述べられている。それは三宝を供養し、六波羅密を修行し、錫杖の音によって懈怠・破戒・不信などの悪心を浄め、外道・鬼神・毒獣・害虫なども菩提心を起こし、十方世界の餓鬼・畜生・受苦の衆生も直ちに解脱すると説く。
『九条錫杖』の文の初めの一段の4句は、実叉難陀訳八十華嚴中の偈文[8]であり、後の各段は『得道梯橙錫杖経』等の経意に依り、古徳が継ぎ作って九條としたもので、故に写本によっては『九條錫杖文』とし、『九條錫杖偈』とし、或いは単に九條錫杖と題したものであるが、『華嚴経』『梯橙錫杖経』の経文を転載したものであるから、『九條錫杖経』と名付けても差し支えない、とされる[9][10]。また、南都七大寺の悔過会等の法会[11]で用いられる錫杖の功徳を讃歎する唱文も、「経」文字を付されて流布している。
以下に『九條錫杖經』原文と訓読を示す[12]。
手執錫杖 當願衆生 設大施會 示如實道 供養三寶 設大施會 示如實道 供養三寶
(第一條 手に錫杖を執りて當に衆生を願うべし、大施會を設けて如實の道を示し三寶を供養す、大施會を設けて如實の道を示し三寶を供養す)
以淸淨心 供養三寶 發淸淨心 供養三寶 願淸淨心 供養三寶
(第二條 淸淨の心を以て三寶を供養し、淸淨の心を發して三寶を供養し、淸淨の心を願って三寶を供養す)
當願衆生 作天人師 虛空滿願 度苦衆生 法界圍繞 供養三寶 値遇諸佛 速證菩提
(第三條 當に衆生を願うべし天人の師と作りて、虛空の願を滿し、苦の衆生を度し、法界に圍繞して、三寶を供養し、諸佛に値遇し、速に菩提を證せん)
當願衆生 眞諦修習 大慈大悲 一切衆生 俗諦修習 大慈大悲 一切衆生 一乗修習 大慈大悲 一切衆生 恭敬供養 佛寶法寶僧寶 一體三寶
(第四條 當に衆生を願うべし、眞諦を修習して一切の衆生を大慈大悲し、俗諦を修習して一切の衆生を大慈大悲し、一乗を修習して一切衆生を大慈大悲し、佛寶法寶僧寶と一體の三寶とを恭敬し供養す。)
當願衆生 檀波羅蜜 大慈大悲 一切衆生 尸羅波羅蜜 大慈大悲 一切衆生 羼提波羅蜜 大慈大悲 一切衆生 毘梨耶波羅蜜 大慈大悲 一切衆生 禅那波羅蜜 大慈大悲 一切衆生 般若波羅蜜 大慈大悲 一切衆生
(第五條 當に衆生を願うべし、檀波羅蜜をもって一切衆生を大慈大悲し、尸羅波羅蜜をもって一切衆生を大慈大悲し、羼提波羅蜜をもって一切衆生を大慈大悲し、毘梨耶波羅蜜をもって一切衆生を大慈大悲し、禅那波羅蜜をもって一切衆生を大慈大悲し、般若波羅蜜をもって一切衆生を大慈大悲し。)
當願衆生 十方一切 無量衆生 聞錫杖聲 懈怠者精進 破戒者持戒 不信者令信 慳貪者布施 瞋恚者慈悲 愚癡者智慧 驕慢者恭敬 放逸者攝心 具修萬行 速證菩提
(第六條 當に衆生は願うべし、十方一切の無量の衆生、錫杖の聲を聞かば、懈怠の者は精進し、破戒の者は戒を持ち、不信の者は信ぜ令め、慳貪の者は布施し、瞋恚の者は慈悲し、愚癡の者は智慧ならん、驕慢の者は恭敬し、放逸の者は心を攝め、具に萬行を修し、速かに菩提を證せん。)
當願衆生 十方一切 邪魔外道 魍魎鬼神 毒獸毒龍 毒蟲之類 聞錫杖聲 摧伏毒害 發菩提心 具修萬行 速證菩提
(第七條 當に衆生を願うべし、十方一切の邪魔外道、魍魎鬼神、毒獸毒龍、毒蟲之類も、錫杖の聲を聞かば、毒害を摧伏して菩提心を發し、具に萬行を修して速かに菩提を證せん。)
當願衆生 十方一切 地獄餓鬼畜生 八難之處 受苦衆生 聞錫杖聲 速得解脱 惑癡二障 百八煩悩 發菩提心 具修萬行 速證菩提
(第八條 當に衆生は願うべし、十方一切の地獄、餓鬼、畜生、八難之處に苦を受くる衆生も、錫杖の聲を聞かば、速かに惑癡の二障、百八の煩悩を解脱することを得て、菩提心を發し具に萬行を修し、速かに菩提を證せん。)
過去諸佛 執持錫杖 已成佛 現在諸佛 執持錫杖 現成佛 未来諸佛 執持錫杖 當成佛
(第九條 過去の諸佛錫杖を執持して已に成佛し、現在の諸佛錫杖を執持して現に成佛し、未来の諸佛錫杖を執持して當に成佛し給ふべし)
故我稽首 執持錫杖 供養三寶 故我稽首 執持錫杖 供養三寶 南無恭敬供養 三尊界會 恭敬供養 顕蜜聖教 哀愍攝受 護持弟子
(流通分 故に我れ稽首して錫杖を執持し三寶を供養す、故に我れ稽首して錫杖を執持し三寶を供養す、南無して三尊の界會を恭敬し供養し、顕蜜の聖教を恭敬し供養す[13]、護持弟子を哀愍し攝受し給え)
— 蓮生観善著『九条錫杖経講義』昭和12年 藤井佐兵衛發行 収録のテキスト(訓読は蓮生観善による)
注・出典
[編集]- ^ 中山照玲「チベット訳『得道梯橙錫杖経』」智山学報 1982年 31巻 p.A1-A19 pdf p.1
- ^ 蓮生観善*『九条錫杖経講義』藤井佐兵衛,昭和12(1937年)国立国会図書館デジタルコレクション 影印 p.6-7 、*ハスウ カンゼン, 1874-1958年、與田寺住職(1905年)、善通寺派初代管長(1931年)・善通寺法主(随心院兼務)、真言宗長者真言宗長者(1933年)、善通寺退任(1949年)。
- ^ 大和久震平*『古式錫杖の形状』帝京短期大学紀要 8 73-100, 1991-12-10、p.75。*オオワク シンペイ、1923年 ―
- ^ 片岡義道*『九条錫杖の研究』東洋音楽研究 1954 年 1954 巻 12-13 号 p. 141-160,en6 [1] p.147 。*カタオカ ギドウ、1919年 - 2002年、滋賀県出身、昭和44年京都市立芸術大学教授(昭和59年名誉教授)。昭和60年天台真盛宗宗務総長。
- ^ 天納傳中『錫杖の一考察』印度學佛教學研究 37 (1), 285-291, 1988 pdf
- ^ とくどうていとうしゃくじょうきょう。標題に「失譯人名今附東晋録」と記載されている。経集部 (大正蔵)(四)第17巻 SATデータベース/T0785_.17.0724a23 - 0725c04
- ^ 大和久震平『古式錫杖の形状』p.75
- ^ 「手執錫杖 當願衆生 設大施會 示如實道」。(卷第十四 淨行品第十一 SATデータベース/T0279_.10.0070c07 - 0070c08 )
- ^ 蓮生観善『九条錫杖経講義』1937年 p.6-7
- ^ 箕輪顕量『日本撰述の偽経について』東アジア仏教学術論集 8 45-71, 2020-02 東洋大学東洋学研究所 pdf p.45に、「また、奈良に始まる四箇法要の中で盛んに唱えられた錫杖の功徳を讃える『錫杖』も、『錫杖経』として経典の体裁を取って現在に伝わるものの一つである。」とある。
- ^ 現代まで継続するものは、東大寺の お水取り、薬師寺の花会式、法隆寺の修二会、興福寺の追儺会(ついなえ)など。
- ^ 出典は蓮生観善『九条錫杖経講義』で、1937年の出版、著者没年は1958年なのでパブリックドメインである。
- ^ 蓑輪顕量は、この語句が明らかに日本撰述であることを物語るものとしている。『日本撰述の偽経について』p.48