金井勝助
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かない かつすけ 金井 勝助 | |
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生誕 |
1905年5月27日 日本・山形県西田川郡大宝寺村 |
死没 | 1986年4月18日(80歳没) |
死因 | 呼吸不全 |
出身校 | 京都帝国大学経済学部 |
職業 | 銀行家 |
栄誉 | 藍綬褒章(1967年)、勲三等瑞宝章(1976年) |
金井 勝助(かない かつすけ、1905年(明治38年)5月27日 - 1986年(昭和61年)4月18日)は、日本の銀行家。荘内銀行頭取、会長を歴任した。
人物・来歴
[編集]六十七銀行頭取を務めた金井成功の3男として、山形県西田川郡大宝寺村(現:鶴岡市)に生まれる[1]。
旧制鶴岡中学(現:山形県立鶴岡南高等学校)卒業後、医師を目指し旧制第四高等学校に進むが、在学中に両親を亡くし、六十七銀行から強く入行を求められた。このため進路を変え、京都帝国大学経済学部に入学。卒業後、同行に入行した[2]。
1941年4月に合併によって荘内銀行が発足する際には、合併事務の統括を担当。荘銀が誕生後には35歳にして支配人に就き、営業部長と庶務部長を兼務した[2]。
1949年、風間幸右衛門頭取の急逝を受け、頭取に就任し、本店の新築、仙台、秋田、東京等の県内外の支店網の整備や拡充に努めたほか、経営の近代化も推進した。
1972年以降は、会長、顧問を歴任。また山形県公安委員会委員長、山形県観光開発公社理事、庄内ゴルフ社長なども務めた[1]。
1986年4月18日、呼吸不全で死去。享年80[3]。鶴岡の大督寺に葬られる[1]。正五位を追贈。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 荘内銀行百年史編纂室編『創業百年史』荘内銀行、1981年。
- 庄内人名辞典刊行会編『新編庄内人名辞典』庄内人名辞典刊行会、1986年。
- 日外アソシエーツ編『物故者辞典1983 - 1987』日外アソシエーツ、1988年。
ビジネス | ||
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先代 風間幸右衛門 |
荘内銀行頭取 第4代:1949年 - 1972年 |
次代 玉城俊一 |