野田町 (千葉県)
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のだまち 野田町 | |
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廃止日 | 1950年5月3日 |
廃止理由 |
新設合併 野田町、旭村、梅郷村、七福村 → 野田市 |
現在の自治体 | 野田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 東葛飾郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
24,028人 (平成18年千葉県統計年鑑、1950年5月3日) |
隣接自治体 |
千葉県東葛飾郡旭村、梅郷村、七福村 埼玉県北葛飾郡金杉村、旭村 |
野田町役場 | |
所在地 | 千葉県東葛飾郡野田町中野台168番地 |
座標 | 北緯35度56分47秒 東経139度51分32秒 / 北緯35.94631度 東経139.85886度座標: 北緯35度56分47秒 東経139度51分32秒 / 北緯35.94631度 東経139.85886度 |
ウィキプロジェクト |
野田町(のだまち)は千葉県の北西部、東葛飾郡に属していた町。現在の野田市の中部に位置していた。現在の野田市は1950年に新設合併されたものであり、本町とは異なる自治体である。
地理
[編集]千葉県の北西部に位置し、西に江戸川が位置し、東武野田線が南北に縦断している。
- 河川:江戸川
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、野田町、堤台村、中野台村、清水村の一部、上花輪村の一部、桜台村の一部、今上村の一部が合併し東葛飾郡野田町が成立する。
- 1900年(明治33年)12月8日 - 野田人車鉄道が開業する。
- 1911年(明治44年)5月9日 - 千葉県営軽便鉄道が開通し、野田町駅が開業する。
- 1917年(大正6年)12月7日 - 野田醤油株式会社(現在のキッコーマン)が設立する。
- 1922年-1928年(大正11年-昭和3年) - 野田醤油労働争議が発生する。
- 1925年(大正14年)9月1日 - 野田人車鉄道が廃止となる。
- 1929年(昭和4年)9月1日 - 愛宕駅および清水公園駅が開業する。
経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『大日本篤農家名鑑』によれば野田町の篤農家は、「宮野三五郎、門倉音吉、茂木七郎、斎藤倉吉、高梨孝右衛門」などである[1]。
- 商工業
『資産家地主総覧』によれば野田町の商工人は、「青山茂助、荒木惣次郎、荒木半次郎、飯田市郎左衛門、石塚喜兵衛、石塚浪右衛門、伊東熊次郎、大塚金蔵、門倉岡平、駒崎藤次郎、杉崎善太郎、杉崎弥八、杉崎くめ、下田森右衛門、高梨兵左衛門、戸邊吉右衛門、戸邊五右衛門、戸邊與三郎、中川仲右衛門、中野長兵衛、中村善之助、中村富士三郎、平井助次郎、前田恒七、南寅次郎、茂木七左衛門、茂木七郎右衛門、茂木佐平治、茂木七郎治、茂木房五郎、茂木勇右衛門、茂木利平、茂木林蔵、谷ヶ崎治郎吉、矢部由之助、山崎甚右衛門、山下平兵衛、山下富三郎、米川金蔵」である(50音順)[2]。
- 企業
- キノエネ醤油
- 野田人車鉄道
- 野田醤油(現・キッコーマン)
交通
[編集]鉄道路線
[編集]道路
[編集]- 流山街道 - 現在の千葉県道5号松戸野田線および千葉県道17号結城野田線
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]出身・ゆかりのある人物
[編集]- 中野栄三郎(野田醤油社長)
- 中野長兵衛(千葉県多額納税者、醤油問屋業)
- 初代茂木啓三郎(日本醤油社長)
- 六代茂木七郎右衛門(資産家、千葉県多額納税者、野田醤油初代社長)
- 茂木七郎治(野田運輸、花畑乗合自動車各代表、野田商誘銀行支配人)
- 茂木七郎治(肥料商、野田商誘銀行支配人)
- 茂木順三郎(千葉県多額納税者、柏屋商事社長、千秋社理事)
- 四代茂木房五郎(千葉県多額納税者、野田商誘銀行、野田醤油各取締役)
- 五代茂木房五郎(千葉県多額納税者、野田醤油社長、千秋社理事)
- 山下平兵衛(千葉県多額納税者、甲子醤油代表社員)
脚注
[編集]- ^ 『大日本篤農家名鑑』304頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月11日閲覧。
- ^ 『都道府県別資産家地主総覧・千葉編』。
参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]七福村 | 旭村 (千葉県東葛飾郡) | |||
金杉村 | 梅郷村 | |||
野田町 | ||||
旭村 (埼玉県北葛飾郡) |