中野長兵衛
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中野 長兵衛(なかの ちょうべえ、旧姓・茂木、1864年6月18日(元治元年5月15日)[1] - 没年不明)は、日本の商人(醤油商[2]、醤油問屋業[3])、実業家。千葉県多額納税者[3][4]。族籍は千葉県平民[2][5]。茂木七郎右衛門 (6代)の弟
人物
[編集]下総国野田(現・千葉県野田市)出身。茂木七郎右衛門(5代)の二男[3]。先代長兵衛の養子となり、家督を相続し襲名した[3]。1873年に茂木七郎右衛門家より分家し、中野長兵衛家を興こす[6]。醤油問屋業を営み会社の重役であった[3]。大和商会取締役、岩崎醤油、岩崎清七商店、野田醤油(現・キッコーマン)、日本坩堝各監査役等をつとめた[3][7][8]。
貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[1]。1936年、紺綬褒章を賜る[8]。宗教は真言宗[8]。住所は千葉県東葛飾郡野田町野田[3]、東京市日本橋区小網町[2][5]。
家族・親族
[編集]- 中野家
- 養父・長兵衛[3]
- 妻・たけ(1868年 - ?、埼玉、関根義立の二女)[7]
- 養子・栄三郎(1887年 - 1988年、千葉、茂木七郎右衛門 (6代)の二男[2][7]、茂木順三郎の弟[3])
- 孫[7]
- 親戚
- 茂木順三郎(千葉県多額納税者、柏屋商事社長)
- 六代茂木七郎右衛門(千葉県多額納税者、資産家、野田醤油初代社長)
- 四代茂木房五郎(旧名は熊蔵、千葉県多額納税者、醤油醸造家、会社重役)
- 五代茂木房五郎(旧名は三千蔵、千葉県多額納税者、会社重役)
- 前田兼七(太物商、日本橋区会議員)[9]
脚注
[編集]- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』166頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月24日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第4版』な47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第10版 下』ナ69頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月24日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』附録 全国多額納税者 千葉県24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月18日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第6版』な56頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月24日閲覧。
- ^ 年表キッコーマン醤油(株)『キッコーマン醤油史』(1968.10)
- ^ a b c d 『人事興信録 第7版』な72頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月24日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第12版 下』ナ75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月24日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第9版』マ16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月24日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 森川英正『日本財閥経営史 地方財閥』日本経済新聞社、1985年。
- 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。