茂木房五郎 (4代)
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四代 茂木 房五郎(よんだい もぎ ふさごろう、旧名・熊蔵[1]、1870年8月14日(明治3年7月18日)[1] - 没年不明)は、日本の実業家、資産家[2]、醤油醸造家。千葉県多額納税者[1][3]。族籍は千葉県平民[1][4]。
人物
[編集]千葉県東葛飾郡野田町(現・千葉県野田市)出身。茂木廣の長男[1][3]、あるいは茂木房五郎の長男[4][5]。高等商業学校(現・一橋大学)に学び、1899年に退学した[6][7]。1904年、家督を相続し旧名・熊蔵を改めた[1]。醤油醸造業を営み銀行会社の重役であった[5]。野田商誘銀行、野田醤油各取締役、万上味淋監査役等をつとめた[4][5]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[8]。住所は千葉県東葛飾郡野田町[1][8]。
家族・親族
[編集]- 茂木家
- 父・廣[1]、あるいは房五郎[5]
- 弟
- 妻・ひで(1873年 - ?、千葉、六代茂木七郎右衛門の妹[1]、五代茂木七郎右衛門の長女[9])
- 男・五代房五郎(1893年 - ?、旧名は三千蔵)[1]
- 二男・芳次郎(1898年 - ?)[1]
- 三男・長三郎(1901年 - ?、須賀孫七の養子)[1][4]
- 四男・七郎(1907年 - ?)[1][4]
- 七男・新七(1914年 - ?)[4][5]
- 長女・愛(1895年 - ?、千葉、九代茂木佐平治の妻)[1][9]
- 二女・とき(1903年 - ?、千葉、茂木啓三郎の養子)[1]
- 三女・こと(1906年 - ?)[1]
- 孫[4][5]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『人事興信録 第4版』も2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月15日閲覧。
- ^ 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』4-5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月26日閲覧。
- ^ a b 『大正人名辞典』1791頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第6版』も1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年11月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第7版』も1-2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月15日閲覧。
- ^ 『東京高等商業学校同窓会々員録 明治44年11月改』同窓会々員録(も)116頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月20日閲覧。
- ^ 『東京高等商業学校同窓会名簿 大正3年12月改正』同窓会々員録(も)155頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月20日閲覧。
- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』167頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月15日閲覧。
- ^ a b 『日本財閥経営史 地方財閥』60-73頁。
参考文献
[編集]- 児玉忠善編『東京高等商業学校同窓会々員録 明治44年11月改』東京高等商業学校同窓会、1911年。
- 『東京高等商業学校同窓会名簿 大正3年12月改正』東京高等商業学校同窓会、1914年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『全国五十万円以上資産家表 時事新報社第三回調査』時事新報社、1916年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 森川英正『日本財閥経営史 地方財閥』日本経済新聞社、1985年。
- 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。