野田城 (陸奥国)
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野田城 (岩手県) | |
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城郭構造 | 丘城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 南部信継? |
築城年 | 不明(古城)・1591年(新城) |
主な城主 | 野田氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、堀 |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯40度6分44.74秒 東経141度48分53.84秒 / 北緯40.1124278度 東経141.8149556度 |
地図 |
野田城(のだじょう)は、岩手県九戸郡野田村にあった日本の城。
概要
[編集]野田城は陸奥国糠部郡野田村に所在し、野田村の平野部丘陵地に位置した。
野田城(新城)は野田村城内[1]の海蔵院の西側の台地にあり、東側の丘陵基部に空濠の跡が残る。
歴史・沿革
[編集]中世の城郭。三戸南部11代伊豫守信長の子信継が一戸実朝の跡を継ぎ、康暦年間(1379-1381年)に九戸郡野田村に移り[2]、十府の「古館」[3][4](三日市場)を居城にしたと伝えられており、古館の築城年代などは詳細不明である。天正10年(1582年)一戸政義の代に野田氏と称した。
天正19年(1591年)、野田掃部助政親は南部信直について九戸政実の乱に参戦した。天正20年(1592年)の諸城破却書上には、「乙部 山城 破 一戸 掃部助 持分」とあり、野田氏累代の持城が破却されたあとに妻子を三戸に移住させ、野田の愛宕山の北方に館を築造し「新館」と称し、館の下に家士を配してこの地域を城内と称した。
脚注
[編集]- ^ 国土地理院 地図情報閲覧サービス
- ^ (岩手県史 第3巻 中世篇)岩手県
- ^ 「十府ヶ森正吉祖」の居住とされ、「正吉祖」とは「政義祖」すなわち南部薩摩守政義を指し、「十府ヶ森」は地名と思われる。
- ^ (日本地名大辞典 岩手県)角川書店
参考資料
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年。ISBN 4-040-01030-2。
- (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名』平凡社、1990年7月13日。ISBN 4-582-91022-X。
- 菅英志『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。
関連項目
[編集]- 日本の城一覧
- 野田城 (曖昧さ回避) - 同名の城郭