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酒井礼一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

酒井 礼一(禮一、さかい れいいち、1847年2月9日弘化3年12月24日[1][2]〉 - 1907年明治40年〉12月11日[3])は、明治時代の政治家三重県四日市市長。

経歴

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三重郡長に就任し、朝明郡長や鈴鹿郡長などを兼職し[4][5]、兼職を解かれたのち、1897年(明治30年)11月、三重郡長を辞した[6]。同年12月、四日市市の初代市長に就任した[7]。市長就任の年に同市は特別輸出入港指定を受け、三重鉄工場や四日市縞共同織工業が操業を開始し、伊藤メリヤスの前身のメリヤス商会が名古屋から高砂町に移転した[7]。こうした発展の流れを受け、隣接町村に先駆けた四日市私立教育会の設立、桑名貯蓄銀行四日市支店の開店、名古屋電話交換局四日市支局の開局などに尽力した[7]。1898年(明治31年)9月まで9か月余り市長を務め[7]、その後は桑名郡長を経て、1899年(明治32年)4月に三重郡長に就任[8]。1902年(明治35年)5月、精神的過労による神経衰弱により三重郡長を辞した[9]

1906年(明治39年)1月、四日市の電力会社四日市電灯(後の北勢電気)で取締役に就任[10]。翌1907年(明治40年)初頭時点の役員録には同社社長を務めるとあるが[11]、同年12月25日在職のまま死去した[3]

親族

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脚注

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  1. ^ 『三重県四日市長候補者中従六位酒井禮一市長就任ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治30年。
  2. ^ 日外アソシエーツ 2022, 261頁.
  3. ^ a b 『官報』第7349号附録、1907年12月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 『三重県三重朝明郡長酒井礼一外四名任免ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治20年7月15日。
  5. ^ 『三重県三重朝明郡長酒井礼一同県鈴鹿郡長兼任ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治22年3月8日。
  6. ^ 『三重県三重郡長酒井禮一依願本官被免ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治30年11月30日。
  7. ^ a b c d 歴代知事編纂会 1983, 622頁.
  8. ^ 『三重県桑名郡長酒井禮一以下二十名任官ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治32年4月25日。
  9. ^ 『三重県三重郡長酒井礼一依願免本官ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治35年5月9日。
  10. ^ 『官報』第6777号、1906年2月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 『日本全国諸会社役員録』第15回、商業興信所、1907年、下編169頁(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 三重県警察本部警務部警務課 1965, 483頁.

参考文献

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  • 三重県警察史 第2巻』三重県警察本部警務部警務課、1965年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3004516 
  • 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第2、歴代知事編纂会、1983年。 
  • 日外アソシエーツ 編集『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。ISBN 4816929304