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都留彌神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
都留弥神社から転送)
都留彌神社
所在地 大阪府東大阪市荒川3丁目20-18
位置 北緯34度39分43.7秒 東経135度34分13.5秒 / 北緯34.662139度 東経135.570417度 / 34.662139; 135.570417 (都留彌神社)座標: 北緯34度39分43.7秒 東経135度34分13.5秒 / 北緯34.662139度 東経135.570417度 / 34.662139; 135.570417 (都留彌神社)
主祭神 速天津日子命速秋津比売命菅原道真ほか
社格 式内社、旧村社
創建 不詳
本殿の様式 住吉造
例祭 秋季例大祭
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都留彌神社(つるみじんじゃ)は、大阪府東大阪市にある神社式内社で、旧社格村社

祭神

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歴史

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創建年は不詳であるが、仁和2年(886年)の国史に記載がある。延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では、「渋川郡 都留彌神社」と記載されている。

延喜10年(910年)に河内国が大干ばつになった際、醍醐天皇の命により河内国の中から12社が選ばれて雨乞い祈願が行われることとなり、当社はその1社に選ばれ、祈願の結果見事に降雨した。これにより当社は従五位上の神位と「都留彌神社」の社号が与えられたという。また、大和川に「つるむ島」「都留美島」があり、そこから「都留彌」に転化したともいう。

戦国時代には相殿に菅原道真が祀られている。それ以来当社は天神社とも称された。

1872年明治5年)に村社に列せられ、5月には永和の素盞嗚命神社を合祀している。

1885年(明治18年)6月、7月に起きた明治十八年の淀川洪水で宝物や古文書などが失われた。

1914年大正3年)3月9日に村社鹿島神社、村社産土神社、無格社大歳神社、村社子守神社、無格社子守神社、村社稲荷神社、村社天神社を合祀し、新たに鹿島神社がもともとあった場所に移転した。当社が元来あった東大阪市足代1丁目の地は、現在は布施戎神社と都留彌神社御旅所となっている。布施戎神社には日本一大きな鋳造の「えびす像」が建てられている。

境内

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  • 本殿 - 住吉造
  • 拝殿
  • 社務所
  • 筆塚
  • 神楽殿
  • 地蔵堂 - 神仏習合時代の名残り。
  • 御神庫
  • 遥拝所 - 修祓所も兼ねている。
  • 参集所
  • 境外
    • 御旅所

摂・末社

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  • 三輪社 - 祭神:三輪大神、恵比須大神
  • 白龍大明神社 - 祭神:白龍大明神
  • 稲荷社 - 岩崎大明神とも呼ばれる。
  • 合祀社 - 祭神:石上大神、諏訪大神、塩釜大神
  • 合祀社 - 祭神:荒龍大神、白龍大神

祭事

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  • 秋季例大祭 10月16日

交通アクセス

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参考文献

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  • 都留彌神社由緒