郡山義夫
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郡山 義夫(こおりやま よしお、1894年(明治27年)6月23日[1] - 1987年(昭和62年)3月26日[2])は、日本の内務・警察官僚。官選長野県知事、海軍司政長官。旧姓・山本。
経歴
[編集]石川県金沢市出身[2]。山本久房の二男として生まれ、郡山富次郎の養子となる[1]。第一高等学校を卒業。1922年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し長野県属となる[1][3]。
以後、長野県警部、同警視、佐賀県書記官・警察部長、鹿児島県書記官・警察部長、岡山県書記官・経済部長、福岡県経済部長、岐阜県総務部長、大阪府書記官・学務部長、内務書記官などを歴任[1]。1941年6月から1943年1月まで海軍司政長官・海南島海軍特務部経済局長を務めた[4]。
1943年1月、長野県知事に就任し、満州開拓事業を推進した[1]。1944年8月1日、知事を依願免本官となり退官した[5]。その後、大阪府食糧営団理事長に就任[1]。戦後に公職追放となり[3]、綜合警備保障顧問を務めた[1]。