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近衛教基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
近衛教基
時代 室町時代中期
生誕 応永30年(1423年
死没 寛正3年8月1日1462年8月25日
別名 後九条右府、陽明右大臣
官位 従一位右大臣
主君 後花園天皇
氏族 近衛家
父母 父:近衛房嗣、母:播磨局
兄弟 教基道興増運政家政深政弁
御霊殿
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近衛 教基(このえ のりもと)は、室町時代中期の公卿関白近衛房嗣の一男。官位従一位右大臣後九条と号する。官位は右大臣に至ったが、摂関に昇ることなく早世した。

経歴

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永享12年(1440年)10月、18歳で元服。6代将軍足利義教から偏諱を受け、教基と名乗る[1]。同13年(1441年)1月従三位に叙されて公卿に列し、2月右近衛中将に転じる。

以後は文安元年(1444年)11月権大納言、同3年(1446年)1月従二位、同6年(1449年)1月正二位と累進した。宝徳4年(1452年)3月右近衛大将となり、康正元年(1455年)8月内大臣、同3年(1457年)9月右大臣に任じられる。

長禄3年(1459年)1月、従一位に叙されたが、寛正3年(1462年8月1日悪腫を患って現職のまま薨去。享年40。これは春日大明神の神罰によるものと噂された[2]。教基には男子がおらず、家督は弟・政家が継いだ。

系譜

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  • 父:近衛房嗣(1402-1488)
  • 母:家女房播磨局 - 播磨守某女
  • 妻:不詳
  • 生母不明の子女
    • 女子:某[3](御霊殿・浄心仁、1459-1487)

脚注

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  1. ^ 近衛家当主で足利将軍家から偏諱を賜ることは、教基が最初である。
  2. ^ 大乗院寺社雑事記』寛正3年8月14日条。ただし、同記は7月27日8月22日)薨去とする。
  3. ^ 後法興院記』文明17年12月7日条および長享元年9月29日条

参考文献

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