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後法興院記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

後法興院記』(ごほうこういんき)は、室町時代後期から戦国時代初期にかけて関白太政大臣を務めた公卿近衛政家日記。書名は政家の法号「後法興院」にちなむ。『後法興院政家記』とも呼ばれる。

概要

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公益財団法人陽明文庫には、寛正7年(1466年)の年始から永正2年6月4日1505年7月5日、政家死去の半月前)までの自筆原本30巻(巻子本3巻と袋綴冊子本27冊。ただし、文明元年(1469年)から10年間分は欠失)が残されている。また、宮内庁書陵部静嘉堂文庫京都大学などに写本も残されている[1]平成9年(1997年)6月30日に国の重要文化財に指定されている[2]

応仁の乱山城国一揆明応の政変などの動乱期の政治情勢、家領の経営・維持に関する記事、当時の公家社会の伝統行事風俗に関する記事など、その内容は多岐にわたっているため、当時の状況を知る上で貴重な史料となっている。

一覧

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陽明文庫に伝来した自筆原本は、巻子本3巻と袋綴冊子本27冊からなる。寛正7年・文正元年(1466年)、応仁元年(1467年)、同2年(1468年)の分は白茶後補表紙を装した巻子本で、「文正元年 後法興院御記」などの墨書外題がある。文明11年(1479年)以降の分は袋綴冊子本で、共紙表紙に「文明十一年記」などの外題を記している。なお、文明元年(1469年)から同10年(1478年)までの10年分と、文明17年(1485年)の巻首から2月8日條途中、5月4日條から5月26日條前半までを欠く[2]

  • 第1巻 (寛正7年正月~文正元年12月)※2月28日改元
  • 第2巻 (文正2年正月~應仁元年12月)※3月5日改元
  • 第3巻 (應仁2年正月~同12月)
  • 第4巻 (文明11年正月~同12月)
  • 第5巻 (文明12年正月~同12月)
  • 第6巻 (文明13年正月~同12月)
  • 第7巻 (文明14年正月~同12月)
  • 第8巻 (文明15年正月~同12月)
  • 第9巻 (文明16年正月~同12月)
  • 第10巻 (文明17年2月~同12月)
  • 第11巻 (文明18年正月~同12月)
  • 第12巻 (文明19年正月~長享元年12月)※7月20日改元
  • 第13巻 (長享2年正月~同12月)
  • 第14巻 (長享3年正月~延德元年12月)※8月21日改元
  • 第15巻 (延德2年正月~同12月)
  • 第16巻 (延德3年正月~同12月)
  • 第17巻 (延德4年正月~明應元年12月)※7月19日改元
  • 第18巻 (明應2年正月~同12月)
  • 第19巻 (明應3年正月~同12月)
  • 第20巻 (明應4年正月~同12月)
  • 第21巻 (明應5年正月~同12月)
  • 第22巻 (明應6年正月~同12月)
  • 第23巻 (明應7年正月~同12月)
  • 第24巻 (明應8年正月~同12月)
  • 第25巻 (明應9年正月~同12月)
  • 第26巻 (明應10年正月~文龜元年12月)※2月29日改元
  • 第27巻 (文龜2年正月~同12月)
  • 第28巻 (文龜3年正月~同12月)
  • 第29巻 (文龜4年正月~永正元年12月)※2月30日改元
  • 第30巻 (永正2年正月~同6月)

備考

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刊行一覧

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デジタルアーカイブ

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脚注

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  1. ^ 後法興院政家記国文学研究資料館 日本古典籍総合目録データベース
  2. ^ a b 後法興院記 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ 『後法興院記』第23巻、明応7年8月26日條

参考文献

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  • 小泉宜右「後法興院政家記」『国史大辞典』第5巻、吉川弘文館、1985年2月、ISBN 4-642-00505-6 
  • 小泉宜右「後法興院記」『日本史大事典』第3巻、平凡社、1993年5月、ISBN 4-582-13103-4 
  • 小島晃「後法興院記」『日本歴史大事典』第2巻、小学館、2000年10月、ISBN 4-09-523002-9 

外部リンク

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