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足立荘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

足立 荘(あだち そう、明治3年4月8日1870年5月8日[1] - 昭和22年(1947年11月15日[2])は日本実業家日本徴兵保険社長(1936-1941)。教育者足立正の弟。

経歴

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鳥取県上道村(現在の境港市上道町)に足立国五郎の次男として生まれる。父・国五郎は村の助役収入役、村会議員等を歴任した人物。

旧制鳥取県尋常中学校(現在の鳥取県立鳥取西高等学校)を経て、明治25年(1892年慶應義塾大学部文学科を卒業し時事新報社に入社。主として翻訳小説を同紙上に掲載する。後政治部に転じ、専ら外交政治方面に活動し伊藤博文陸奥宗光等の知遇を得た。日清戦争では大本営付き主任記者となり[3]、後政治部長に栄進、明治34年(1901年)編集長となる。日露戦争では従軍記者として北満を取材[4]

明治43年(1910年)退社して実業界に入り、徴兵保険の必要性を自ら主唱して財界各方面の有力者を糾合、1911年に門野幾之進を社長に日本徴兵保険株式会社(現在の大和生命保険)が設立されると専務としてその経営にあたり、1936年には同社社長に就任した[5]

内国貯金銀行浜松銀行常陽銀行共同保全日本楽器日本不動産日本商工秩父電線製造所の各役員も務めた[6][3]

家族 親族

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その他

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脚注

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  1. ^ 『人事興信録 5版』(人事興信所、1918年)あ12頁
  2. ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』(日外アソシエーツ、1983年)p.14
  3. ^ a b 足立荘君『大正人名辞典 3版』東洋新報社 大正6
  4. ^ 足立荘『軍国日本人物大鑑 : 憲法発布五十周年議会政治創刊五周年記念』 議会政治社 昭和13
  5. ^ 大同生命の戦後の相互会社化平成27年度第1回日本保険学会関西部会報告会、名古屋商科大学 黒木達雄
  6. ^ a b 足立茂、足立荘人事興信録 第13版(昭和16年) 上

参考文献

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  • 『境港市史』
  • 『実業家人名辞典』(立体社、1990年)ア37頁

関連項目

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外部リンク

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