赤銅よう部
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赤銅鍱部(しゃくどうようぶ)、または銅鍱部[1](どうようぶ、梵: Tāmraparṇīya[2] 巴: Tambapaṇṇiya[3])は、部派仏教の一派。
銅鍱洲や赤銅鍱(梵: Tāmraparṇi巴: Tambapaṇṇi[4])とはスリランカの古称。銅鍱洲などインド南部に広がった上座部支派の古称。現在の上座部仏教の源流と考えられる。紅衣部(こういぶ、梵: Tāmraśāṭīya)とも呼ばれる。[5]
支派
[編集]赤銅鍱部は後に以下の三派に分れたとされている。[6]
- 大寺派(巴: Mahāvihāra-vāsin) 現在の上座部仏教の源流でありブッダゴーサの清浄道論で知られる。[7]マハーワンサによると無畏山寺派に破壊されたとある。[8]
- 無畏山寺派(巴: Abhayagirivihāra-vāsin) B.C1世紀に大寺派から分裂した。大乗および密教を取り入れた派。[9]
- 祇多林寺派(巴: Jetavanavihāra-vāsin) 3世紀に無畏山寺派から分裂した。祇多林とは祇園精舎のある場所。
脚注
[編集]- ^ 成業論; Muroji, Vasubandhus Interpretation Des Pratātyasamutpāda, 1993, 109頁: 対応チベット語は gos dmar sde pa; Lamotte, Pruden, Karmasiddhiprakarana, §35; 三枝充悳『世親』2004, 166頁;ただし別訳業成就論は「銅色弟子」と訳している。また一切経音義は「銅鍱部」に「餘渉反上座部也鑿赤銅鍱書字記文今猶在師子國也」と割り注を入れる
- ^ 荻原雲来『梵文倶舎論疏』1932, 第二版: 1972, 705頁; Śastri, abhidharmakośa, 1987, 1205頁; チベット訳: 東北4092, ngu巻, 319a; 『中華大蔵経』テンギュル80巻, 1616頁
- ^ Lance Cousins, On the Vibhajjavādins, Buddhist Studies Review 18-2, 2001
- ^ 赤沼智善『印度佛教固有名詞辭典』1967, 679頁; Renou, L'Inde classique, 1947『インド学大事典』1981, 466; B. C. Law, Geography of early Buddhism, 1973, 70頁; Chuan Cheng, Designations of Ancient Sri Lankan Buddhism in the Chinese Tripiṭaka, Journal of the Oxford Centre for Buddhist Studies 2, 2012
- ^ Yoichi Fukuada, Mahāvyutpatti, 1989, S.9083; Thesaurus Literaturae Buddhicae
- ^ 慧日佛學班.第5期課程"印度佛教史"
- ^ http://santavana.org/ch/node/117
- ^ The Mahavamsa Chapter XXXVII King Mahasena
- ^ Abhayagirivasins