赤松明勅
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赤松 明勅(あかまつ めいちょく、1912年3月11日[1] - 1965年2月6日[2])は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]愛媛県宇摩郡金砂村(のち伊予三島市、現・四国中央市)出身[1][注 1]。日本大学大阪専門学校(現・近畿大学)で学ぶ[2]。海南新聞記者となり、赤松博集堂製本工場を経営する。関西製本業統制組合専務理事、全国製本紙工商工業協同組合専務理事、上分村農民組合長となる[2]。
戦後、日本社会党愛媛県支部連合会執行委員となり[2]、1947年の第23回衆議院議員総選挙では愛媛2区から日本社会党公認で立候補してトップ当選[3]、衆議院議員を1期務めた。1949年の第24回衆議院議員総選挙では社会革新党から立候補したが落選した[3]。1965年死去。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』14頁では「大分県出身」と記載。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。