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田無市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
賀陽賢司から転送)
たなしし
田無市
スカイタワー西東京
田無市旗 田無市章
田無市旗 田無市章
廃止日 2001年1月21日
廃止理由 新設合併
田無市保谷市西東京市
現在の自治体 西東京市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都
市町村コード 13216-1
面積 6.80km2.
総人口 77,737
(住民基本台帳[1]、2001年1月21日)
隣接自治体 保谷市武蔵野市小金井市小平市東久留米市
市の木 けやきはくうんぼく
市の花 タナシツツジ
他のシンボル -
田無市役所
所在地 188-8666
東京都田無市南町五丁目6番13号
外部リンク https://web.archive.org/web/20000229133116/http://www.tanasi-hoya.co.jp/tanasi/index.html
座標 北緯35度43分32秒 東経139度32分17秒 / 北緯35.7255度 東経139.53817度 / 35.7255; 139.53817座標: 北緯35度43分32秒 東経139度32分17秒 / 北緯35.7255度 東経139.53817度 / 35.7255; 139.53817
ウィキプロジェクト

田無市(たなしし)は、かつて東京都に存在した。東京都特別区部への通勤率は44.7%(平成12年国勢調査)。2001年1月21日保谷市と合併し、西東京市の一部となった。

全国でも埼玉県蕨市鳩ヶ谷市(2011年に川口市に合併して同市に復帰)、東京都の狛江市についで4番目に小さい市でもあった。

歴史

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青梅街道所沢街道が交差する交通の要所であり、青梅街道の宿場町として江戸時代より栄えた。

宿場町として陸運により発展していたため鉄道の誘致に積極的ではなく、甲武鉄道(現在のJR中央本線)の開業によりその地位を失う。その後は西武鉄道新宿線の開通などで東京の市街地となり、昭和10年代から、大日本時計(シチズン時計)、中島航空金属、豊和工業(石川島播磨重工業)などの工場が設立された。太平洋戦争後は一部工場は閉鎖されたが、東京都心のベッドタウンとしての発展を続けた。

江戸時代より商業的に発展していたことから、周辺の地区が複数の村を統合して明治以降、村を形成したのに対して、田無は江戸から同じ市域で明治以降の田無村となった。全国の市で、複数の大字(に相当する区域)を持たない唯一の市であった。そのため明治20年代より幾度となく近隣市町村との合併の検討がされたが、2001年(平成13年)に隣接する保谷市との合併を果たした。

地名の由来

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田無の地名は、1559年永禄2年)の後北条家の文書に確認されたものが最も古く、江戸時代以前より集落が形成されていたことが分かる。そのため地名の由来は定かではなく、いくつかの説がある。

  1. 田んぼが無かったという説
  2. 棚瀬の読みが「たなし」に変化し、田無の字があてられた説
  3. 田成の表記が田無に変化した説
  4. 種なしが変化し田無になった説。田無では税の取立てが厳しく、種(種籾)までとられてしまうため、周囲の村から「種なしの村」と呼ばれたという。

1の説に対しては、畑作が中心だった現在の多摩地域ではどこでも田は無いこと、2と3の説では、途中で意味が正反対に変わっていること、4の説も田無の集落が近隣より比較して早くに成立していることなどから、いずれも決め手に欠け、定説とはなっていない。

行政

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歴代町長

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  • 下田太郎右衛門 1889年5月21日〜1893年5月20日
  • 小山平左衛門 1893年6月12日〜1894年2月27日(死去)
  • 海老沢政吉 1894年5月10日〜1897年8月8日
  • 海老沢三郎兵衛 1897年10月23日〜1898年6月1日
  • 浦野議助 1898年6月9日〜1926年12月24日(死去)
  • 鴨志田五兵衛 1927年2月15日〜1935年2月15日
  • 下田正一 1935年3月9日〜1939年3月8日
  • 佐々時達 1939年3月13日〜1943年6月3日(死去)
  • 藤宮長寿郎 1943年7月30日〜1946年6月13日
  • 下田正一 1946年6月13日〜1946年11月15日 (再当選)
  • 小峰順誉 1947年4月15日〜1955年4月30日
  • 桜井竹次郎 1955年5月1日〜1958年3月25日
  • 賀陽賢司 1958年4月20日〜1962年4月19日
  • 指田吾一 1962年4月20日〜1966年12月31日

歴代市長

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特記なき場合『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』などによる[2]

氏名 就任 退任 備考
1 指田吾一 1967年(昭和42年)1月1日 1969年(昭和44年)3月24日 旧田無町長、在任中に死去
2 木部正雄 1969年(昭和44年)5月11日 1985年(昭和60年)5月10日
3 末木達男 1985年(昭和60年)5月11日 2001年(平成13年)1月21日 廃止

交通

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道路

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歴史の節にあるように青梅街道と所沢街道(東京都道・埼玉県道4号東京所沢線東京都道5号新宿青梅線)の分岐となる交通の要衝である。

また、新青梅街道と所沢街道が交差する北原交差点(新青梅街道は当交差点以東が東京都道245号杉並田無線、以西が東京都道5号新宿青梅線)、その東側でひばりヶ丘駅への谷戸新道(東京都道112号ひばりケ丘停車場線)、田無駅を通り武蔵境方向への武蔵境通り(東京都道12号調布田無線)が接続している。

青梅街道の橋場交差点からは北西へ東京街道(市道)、南西へ東京都道132号小川山田無線が分岐する。

鉄道

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バス

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姉妹都市・提携都市

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脚注

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注釈

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出典

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参考文献

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  • 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第1、歴代知事編纂会、1983年。 
  • 田無市・保谷市合併の記録 (PDF) (Report). 西東京市. 2001. 2022年4月10日閲覧


関連項目

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外部リンク

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