許率母
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人物情報 | |
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生誕 |
不詳 百済国 |
死没 |
不詳 日本 死因不詳 死没地: 日本 |
居住 | 百済国 → 日本 |
学問 | |
時代 | 飛鳥時代後期 |
活動地域 | 百済国 → 日本 |
学位 | 学士(大博士)(※ 養老律令の大学博士にあたる。) |
主な受賞歴 |
大山下(676年) 食封30戸 |
許 率母(こ そちも[1] / きょ そつも[2]、生没年不詳)は、百済の官吏。官位は達卒。故国の滅亡に伴い倭国(日本)へ亡命した。
記録
[編集]『懐風藻』によれば、大友皇子の学士の一人で、沙宅紹明・答㶱春初・吉大尚・木素貴子らとともに
『五経』に詳しく、671年(天智天皇10年1月)、吉大尚・角福牟とともに小山上の冠位を授けられた[3]。
676年(天武天皇6年5月)、この時既に大博士(養老律令の大学博士にあたる。)であったが、大山下の位を授与され、改めて食封30戸を賜与されている[4]。