木素貴子
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木素 貴子(もくそ きし、生没年不詳)は、百済の官吏、武人。官位は達卒。故国の滅亡に伴い、白村江の戦いの後に倭国(日本)へ亡命した。
記録
[編集]『日本書紀』によれば、天智天皇2年(663年)9月24日(甲戌)、余自信、憶礼福留、谷那晋首ら百済の国民と倭の船師達と共に弖礼城に至り、翌日倭国へ向けて出航した[1]。
『懐風藻』によると、皇太子となった大友皇子の賓客として、沙宅紹明・塔本春初・吉大尚・許率母らとともに重用されたとある[2]。
兵法に詳しく、天智天皇10年(671年)1月に大山下の冠位を授けられた[3]。
一族に、持統天皇5年(691年)12月に呪禁博士として銀20両を賜与された木素丁武(もくそ ちょうむ)がいる[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本書紀』(五)岩波文庫、1995年
- 『日本書紀』全現代語訳(下)、講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1988年
- 『懐風藻』、全訳注江口孝夫、講談社学術文庫、2000年
- 『白村江―古代東アジア大戦の謎』遠山美都男、講談社現代新書、1997年
- 『戦争の日本古代史 好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで』倉本一宏、講談社現代新書、2017年