沙宅紹明
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人物情報 | |
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生誕 |
不詳 百済国 |
死没 |
天武天皇2年(673年) 日本 不詳 |
居住 | 百済国 → 日本 |
子供 |
子孫:沙宅万首(呪禁博士) 子孫:沙宅万福(女孺) |
学問 | |
時代 | 飛鳥時代後期 |
活動地域 | 百済国 → 日本 |
学位 | 学士 |
主な受賞歴 |
大錦下(671年) 贈・外小紫位(673年) 贈・大佐平(673年) |
沙宅 紹明(さたく じょうみょう、生年不詳 - 天武天皇2年(673年))は、百済の貴族、学者。氏は沙吒、名は昭明とも記す。故国の滅亡に伴い、倭国(日本)へ亡命した。
経歴
[編集]同族に、543年(欽明天皇4年)12月条の上佐平沙宅己婁、660年(斉明天皇6年)7月条の注および同年10月の注に見える大佐平沙宅千福、百済滅亡時に捕虜となり、のちに郭務悰の船団に参加する沙宅孫登がいる。
その人となりは
671年(天智天皇10年)1月、法官大輔(律令制下の式部省の次官)の時に、余自信とともに大錦下を授けられた[2]。673年(天武天皇2年)閏6月に死去し、その報に接した天武天皇は驚愕し、外小紫位(のちの従三位相当)を贈り、重ねて故国百済の大佐平の位を与えている[3]。
子孫には、691年(持統天皇5年12月)に銀20両を賜った
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『コンサイス日本人名辞典 改訂新版』p572(三省堂、1993年)
- 『日本書紀』(五)(岩波文庫、1995年)
- 『日本書紀』(全現代語訳(下)講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1988年)
- 『続日本紀』(全現代語訳(中)(講談社学術文庫、宇治谷孟:訳、1992年)
- 『懐風藻』(全訳注江口孝夫、講談社学術文庫、2000年)
- 『日本古代氏族事典』【新装版】(佐伯有清:編、雄山閣、2015年)
- 『戦争の日本古代史 好太王碑、白村江から刀伊の入寇まで』(倉本一宏、講談社現代新書、2017年)