観月橋
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観月橋 | |
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観月橋(右)と新観月橋(左) | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 京都府京都市伏見区 |
交差物件 | 宇治川 |
用途 | 道路橋 |
路線名 | 国道24号 |
管理者 | 国土交通省近畿地方整備局京都国道事務所 |
施工者 | 日本橋梁 |
開通 | 1936年(昭和11年)6月1日 |
座標 | 北緯34度55分37.5秒 東経135度46分6.7秒 / 北緯34.927083度 東経135.768528度 |
構造諸元 | |
形式 | ゲルバー桁橋 |
材料 | 鋼 |
全長 | 178.950 m |
幅 | 12.400 m |
最大支間長 | 25.300 m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
観月橋(かんげつきょう)とは、京都府京都市伏見区の宇治川(淀川)に架かる国道24号の橋。
概要
[編集]豊臣秀吉が現在の指月山月橋院付近で催したと言われる月見の宴が名称の由来である[1]。
観月橋は観月橋北詰交差点で京都外環状線(京都府道7号京都宇治線)に接続する歩道が設置されている。
現在は1975年(昭和50年)に隣接して新観月橋(新観月高架橋)が架橋されており、外環状線や京阪宇治線をオーバーパスしている。観月橋の下流には近鉄京都線の澱川橋梁が渡河している。
観月橋の諸元
[編集]- 形式 - 鋼ゲルバー桁橋
- 延長 - 178.950 m
- 径間割 - 7×25.500 m
- 幅員
- 総幅員 - 12.400 m
- 有効幅員 - 12.000 m
- 車道 - 7.000 m
- 歩道 - 両側2.500 m(後年歩道橋添加)
- 床版 - 鉄筋コンクリート
- 施工 - 日本橋梁
- 完成 - 1936年(昭和11年)6月1日
新観月橋の諸元
[編集]- 形式 - 鋼2径間連続箱桁橋(跨線橋部) + 鋼3径間連続箱桁橋(渡河部) + 鋼単純合成鈑桁橋
- 延長 - 536.9 m
- 箱桁部径間割 - ( 2×48 m ) + ( 51.4 m + 76.6 m + 51.4 m )
- 幅員
- 総幅員 - 12.0 m
- 有効幅員 - 11.0 m
- 床版 - 鉄筋コンクリート
- 施工 - 川崎重工業・日本橋梁(渡河部)
- 完成 - 1975年(昭和50年)3月
沿革
[編集]- 鎌倉時代末期から、桂橋(両郡橋又は指月橋)と称し存在するが、奈良街道は六地蔵から宇治橋を経由していた。
- 桃山時代 - 豊臣秀吉が巨椋池の中に小倉堤を作り奈良街道の新道を開いた際に、豊後大友氏に命じ、宇治橋を伏見城下の大友豊後守屋敷前と対岸の向島の新道との間の現在地に移したため、以後は豊後橋と呼ばれた。
- 江戸時代を通して18回の架け替えや修復の工事が行われ、鳥羽・伏見の戦いで豊後橋が焼け落ち、その後、渡し船が就航。
- 1873年(明治6年) - 再建に伴い、観月橋と命名[1]
- 1936年(昭和11年)6月1日 - 現在の観月橋が開通[3][6]
- 1975年(昭和50年)3月11日 - 新観月橋(新観月高架橋)が開通[3][7]
- 1979年(昭和54年)3月 - 観月橋の補修・上流側歩道橋拡幅[3]
橋の周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 京阪電気鉄道駅置き新聞「K PRESS」2013年4月号、p.7
- ^ “観月橋”. 歴史的鋼橋集覧. 土木学会. 2021年12月15日閲覧。
- ^ a b c d e “観月橋1936-6-1”. 土木学会附属土木図書館. 橋梁史年表. 土木学会. 2021年12月15日閲覧。
- ^ “橋梁年鑑 昭和54年版” (PDF). 日本橋梁建設協会. pp. 112, 113. 2021年12月15日閲覧。
- ^ “跨線橋の点検結果及び修繕状況について” (PDF). 京都府道路鉄道連絡会議. p. 7. 2021年12月15日閲覧。
- ^ 京都市立伏見住吉小学校創立百周年記念事業実行委員会 『京都市立伏見住吉小学校創立百周年記念誌』 2003年5月、p.65。
- ^ 京都市立伏見住吉小学校創立百周年記念事業実行委員会 『京都市立伏見住吉小学校創立百周年記念誌』 2003年5月、p.68。
参考文献
[編集]- 京都市立桃山中学校 『創立50周年記念誌 桃暉』 1997年7月、p.2。
- 京都市立伏見住吉小学校創立百周年記念事業実行委員会 『京都市立伏見住吉小学校創立百周年記念誌』 2003年5月、p.65,68。