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西﨑聡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西﨑 聡
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県糸島郡志摩町(現:糸島市
生年月日 (1982-08-01) 1982年8月1日(42歳)
身長
体重
174 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト3巡目
初出場 2007年5月1日
最終出場 2009年9月20日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

西﨑 聡(にしざき さとし、1982年8月1日 - )は、福岡県糸島郡志摩町(現:糸島市)出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

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プロ入り前

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7歳で野球を始める。糸島高入学後に本格的に投手となり、3年夏は同校46年ぶりの県大会8強[1]西﨑伸洋(元横浜)とバッテリーを組んでいた。

高校卒業後は、九州国際大学へ進み3年時に明治神宮大会出場、4年秋はリーグ最多勝[1]2005年社会人野球JR北海道に入団。北広島駅に勤務していた。第76回都市対抗野球大会[2]で登板。

2006年プロ野球ドラフト会議東京ヤクルトスワローズから大学生・社会人ドラフト3巡目で指名を受け入団。

プロ入り後

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2007年オープン戦で3度登板し無失点の好スタート。5月1日に初めて一軍登録され、その日の広島東洋カープ戦(広島市民球場)の8回に3番手としてプロ入り初登板を果たした。しかし1アウトを取る間に2被安打1四球1死球の3失点という結果で、一軍には定着しきれなかった。イースタンでは51イニングを投げて防御率3.18とそこそこの結果を残している。

2010年は一軍登板がなく、同年10月3日戦力外通告を受けた。のち引退。

現役引退後

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現在は医療機器メーカーの白寿生科学研究所に勤務している[3]。2016年8月には東京ドームでの日本ハム楽天戦の始球式に参加している[4]

選手としての特徴・人物

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サイドスロー気味のスリー・クォーターから繰り出す、独特のバネの効いた最速148km/hのストレートはキレと伸びが特徴。変化球は、スライダーシンカーを併せ持つ。遅れて出てくる腕の振りが打者の打ちづらさとなり、大きな武器となっている。

直球・変化球共に、制球力が大きな課題である。

2007年の春季キャンプでは、抜くボール、シンカーを教わるべく高津臣吾に弟子入り志願した。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2007 ヤクルト 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 20 3.2 5 0 2 0 2 0 0 0 7 7 17.18 1.91
2008 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 21 4.0 5 0 3 0 1 4 0 0 1 1 2.25 2.00
2009 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 4 1.0 1 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0.00 1.00
通算:3年 8 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 45 8.2 11 0 5 0 3 5 0 0 8 8 8.31 1.86

記録

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背番号

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  • 30 (2007年 - 2010年)

脚注

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  1. ^ a b 2001プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
  2. ^ - 都市対抗野球大会80年史
  3. ^ 平尾類 (2018年5月4日). “医療機器メーカー・白寿生科学研究所がプロ野球選手を積極的に採用する理由”. CoCoKARAnext. 2024年10月14日閲覧。
  4. ^ 木田優夫木田画伯 後輩投手見て考えるセカンドキャリアの大切さ」『Sponichi Annex』2016年9月19日。2024年10月14日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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