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西海沿岸商船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西海沿岸商船株式会社
西海沿岸商船の高速船「れぴーど」・「れぴーどエクセル」(佐世保港にて)
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
857-0877
長崎県佐世保市万津町7番3号
設立 1963年2月22日
業種 海運業
法人番号 5310001005441 ウィキデータを編集
事業内容 一般定期旅客航路事業
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西海沿岸商船株式会社(さいかいえんがんしょうせん)は、長崎県佐世保市海運会社佐世保港(佐世保市)を起点に西彼杵半島沿岸と離島である大島(西海市)、松島(西海市)、池島(長崎市)を結ぶ航路を運航している。

概要

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西海橋の開通等、陸上交通の整備により、九州商船が長崎 - 佐世保間の沿岸航路を撤退する[1]にあたり、1963年に設立され、大島 - 佐世保間の沿岸航路を運営していた木原海運株式会社を合併の上[2]、同年航路を継承、運航を開始した。当初は在来(貨)客船による運航だったが、1967年に佐世保 - 大島、1969年には松島 - 瀬戸 - 池島にそれぞれカーフェリーが就航[3]1990年には高速船を導入し、在来客船を置き換えた。

その後、1999年11月に大島大橋長崎県道路公社が管理する有料道路として開通、2011年4月に無料開放されるなど、大島と本土が陸路で結ばれたことで輸送量が減少、池島では2001年11月に池島炭鉱が閉山、閉山当時約2,700名いた島民が約330名となり、こちらも輸送量が激減するなど、厳しい航路環境にある。そのため、長崎県を中心に九州運輸局長崎市西海市および当社が参加する「佐世保 - 神浦航路のあり方検討会議」が開催され、住民アンケートの結果などから、学生の通学に配慮したダイヤの設定、 廃棄物処理業者やバス事業者との運航時刻調整など対策を行った上で、航路維持のため、老朽化していた「フェリーおおしま」を廃船として減便を行い、運航経費を削減した[4]。さらに2024年には、高速船航路のうち大島以南を毎日運航から週2日の運航とし、西彼杵半島側の寄港地(面高・瀬戸・神浦)をすべて抜港するなど、減船・減便が進められた。

2024年現在、佐世保港を起点に、大島の肥前大島港、松島の釜浦桟橋、池島の池島港を結ぶ高速船、および松島 - 瀬戸 - 池島 - 神浦(長崎市)のフェリーを運航している。江崎海陸運送西海市営船が同航路を運航する松島 - 瀬戸を除いて、唯一の航路で、島民の通勤・通学・通院など本土への交通、食料品・郵便物などの物資輸送を担っている。

航路

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1986年長崎発着の旅客船が廃止[5]され、2024年の抜港を経て現在の航路となっている。1990年代までは佐世保 - 大島と松島 - 瀬戸 - 池島のフェリーが主力であったが、前者はすべて高速船に置き換えられ、フェリー便は大幅に縮小されている。

高速船

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  • 佐世保 - 大島 - 松島 - 池島[6]
佐世保 - 池島2往復(火・金曜日のみ)、佐世保 - 大島の区間便10往復(大島造船所休業日は9往復、火・金曜日は7往復)

フェリー

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  • 松島 - 瀬戸 - 池島 - 神浦
松島 - 瀬戸3往復、瀬戸 - 池島5往復、池島 - 神浦2往復

過去の寄港地

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  • 面高 - 2024年4月1日抜港
  • 天久保、黒口、太田和 - 1970年頃抜港[7][8]
  • 長崎 - 1986年廃止

過去の航路

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  • 大島 - 太田和 - 中浦 - 七釜[9]
13.9km、一日4往復、1975年には廃止[10]
  • 佐世保 - 白浜[9]
不定期航路、20km、7月15日 - 8月31日運航。1983年以降に廃止[11]

船舶

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運航中の船舶

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フェリー

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フェリーかしま(神浦港)
  • フェリーかしま
2004年1月竣工、前畑造船建造、鉄道建設・運輸施設整備支援機構共有
193総トン、全長37.37m、型幅9.00m、型深さ2.99m、ディーゼル1基、機関出力1,000PS、航海速力12.20ノット、旅客定員120名、乗用車11台

高速船

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れぴーど(大島港)
1990年11月14日竣工、同月22日就航。三保造船所建造。船舶整備公団共有。
94総トン、全長26.4m、幅6.9m、深さ2.6m、ディーゼル2基2軸、機関出力2,000ps、航海速力25.0ノット、旅客定員202名
2024年4月1日就航。
123総トン、航海速力28.0ノット、旅客定員200名。

過去の船舶

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フェリー

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1967年10月竣工・就航、徳島造船建造。1990年日本船舶明細書より削除。
263.67総トン、全長35m、幅7.8m、深さ2.7m、ディーゼル1基1軸、機関出力700ps、航海速力11.5ノット、旅客定員344名、トラック7台。
  • かしま丸 (2代)[15]
1969年5月竣工、井筒造船所建造。
192.37総トン、全長34.00m、幅7.80m、深さ2.70m、ディーゼル1基、機関出力700ps、航海速力11.5ノット、旅客定員平水340名・沿海188名、2tトラック7台。
  • フェリーせと[15]
1972年10月竣工、泉造船所建造。
195.91総トン、全長32.90m、幅8.40m、深さ2.90m、ディーゼル1基、機関出力700ps、航海速力10.7ノット、旅客定員292名、乗用車15台。
  • フェリーおおせと[15]
1978年4月竣工、向井造船所建造。
198.96総トン、全長34.00m、幅9.00m、深さ2.90m、ディーゼル1基、機関出力750ps、航海速力10.5ノット、旅客定員167名、大型トラック2台、乗用車4台。
フェリーさいかい(神浦港)
  • フェリーさいかい[15]
1980年3月進水、4月竣工、向井造船所建造、船舶整備公団(→鉄道・運輸機構)共有。
194.45総トン、全長35.24m、幅9.20m、深さ3.00m、ディーゼル1基、機関出力950ps、航海速力11.0ノット、旅客定員167名、乗用車12台。
フェリーおおしま(佐世保港)
  • フェリーおおしま[15]
1987年3月21日就航、向井造船所建造、船舶整備公団共有。
235総トン、全長41.69m、幅8.60m、深さ3.10m、ディーゼル1基、機関出力1,400ps、航海速力12.8ノット、旅客定員400名、バス1台、乗用車8台。

旅客船

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1929年4月竣工、松浦鉄工造船所建造。もと九州商船。
75.57総トン、登録長24.54m、幅4.60m、深さ2.13m、焼玉機関、機関出力120ps、最大速力10ノット、旅客定員63名。
1930年12月竣工、名村造船所建造。もと九州商船。
94.24総トン、登録長27.43m、幅4.57m、深さ2.44m、焼玉機関、機関出力240ps、最大速力10.5ノット、旅客定員72名。
1931年8月竣工、藤永田造船所建造。もと九州商船。
68.17総トン、登録長23.77m、幅4.42m、深さ2.13m、焼玉機関、機関出力120ps、最大速力10.7ノット、旅客定員53名。
1934年5月進水[7]。もと九州商船。
99.17総トン、登録長25.13m、幅4.60m、深さ2.43m、焼玉機関、機関出力160ps、最大速力10ノット、旅客定員95名。
竣工・建造不詳。木造船。
26.80総トン、登録長18.13m、幅4.70m、深さ1.46m、焼玉機関、機関出力60ps、最大速力8ノット、旅客定員49名。
1949年12月竣工、平戸造船建造。木造船。木原海運より継承。
58.87総トン、登録長21.81m、幅5.15m、深さ1.30m、焼玉機関、機関出力120ps、最大速力9ノット、旅客定員55名。
  • 第二朝日丸[9]
1954年1月進水。
27.23総トン、ディーゼル1基、機関出力90ps、航海速力8.5ノット、旅客定員46名。
大島 - 七釜航路に就航。
  • かしま丸 (初代)[16]
1961年3月竣工、松浦鉄工造船所建造。木原海運より継承。
61.17総トン、登録長20.09m、幅4.50m、深さ2.00m、ディーゼル1基、機関出力160ps、最大速力10ノット、旅客定員102名。
1964年1月竣工、宇品造船所建造。
152.72総トン、全長33.20m、幅6.30m、深さ2.55m、ディーゼル1基、機関出力600ps、航海速力12.5ノット、旅客定員平水355名・沿海224名。
  • 第二三幸丸[7]
1954年12月25日竣工、波止浜造船建造。もと三島村
101.98総トン、ディーゼル1基、機関出力270ps、航海速力10.5ノット、旅客定員平水115名・沿海65名。
1961年4月6日竣工、土佐造船鉄工所建造。防予汽船より買船[18]
190.26総トン、全長32.400m、型幅6.200m、型深さ2.800m、ディーゼル1基、450ps、航海速力11.76ノット、旅客定員376名。
1969年5月竣工、栗之浦ドック建造。盛運汽船より買船[19]
188.74総トン、全長35.50m、幅6.50m、深さ2.80m、ディーゼル1基、機関出力800ps、航海速力13.0ノット、旅客定員平水450名・沿海241名。
れぴーどエクセル(佐世保港)
  • れぴーどエクセル(高速船)
1995年8月9日就航、三保造船所建造(第342番船)、鉄道建設・運輸施設整備支援機構共有
134総トン、全長30.65m、型幅8.50m、型深2.71m、ディーゼル2基、機関出力4,076PS、航海速力32.0ノット、旅客定員245名
2024年3月31日限りで「Rapid Lily」に代替され、引退
れぴーど2(佐世保港)
  • れぴーど2(高速船)
1999年就航、三保造船所建造、19総トン、全長21.50m、MTU12V183TE 2基、機関出力1,338kW、旅客定員92名
2024年3月31日限りで引退

事務所

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脚注

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  1. ^ 西口公章 九州商船客船史 (世界の艦船 第309集 1982年7月号 PP.162-165)
  2. ^ 『旅客船 : 機関誌』(52),日本旅客船協会,1963-04. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2810935 (参照 2024-04-08)
  3. ^ 世界の艦船別冊 日本のカーフェリー -その揺籃から今日まで- P.320 (海人社 2009)
  4. ^ 航路再編・寄港地統合等による合理化
  5. ^ 交通公社の時刻表 1986年6月号
  6. ^ 2024年4月改正運航表”. 佐世保旅客船協会/西海沿岸商船. 2024年4月2日閲覧。
  7. ^ a b c 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和44年8月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1969]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2523859 (参照 2023-03-05)
  8. ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和46年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1971]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12065734 (参照 2024-04-09)
  9. ^ a b c 『旅客定期不定期・自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和41年8月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1967]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2531329 (参照 2024-08-05)
  10. ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和51年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1976]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12061801 (参照 2024-08-05)
  11. ^ 『旅客定期・不定期自動車航送貨物定期航路事業現況表』昭和57年4月1日現在,運輸省海運局定期船課,[1982]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12121864 (参照 2024-08-05)
  12. ^ 世界の艦船 第433集 1991年3月号 P.45 (海人社)
  13. ^ 西海沿岸商船/船舶情報”. 佐世保旅客船協会/西海沿岸商船. 2024年4月11日閲覧。
  14. ^ 世界の艦船別冊 日本のカーフェリー -その揺籃から今日まで- P.266 (海人社 2009)
  15. ^ a b c d e f g 日本船舶明細書 1990 (日本海運集会所 1990)
  16. ^ a b c d e f g 『日本旅客船船名録』昭和39年版,日本旅客船協会,1964. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2504820 (参照 2023-03-05)
  17. ^ 船の科学 1961年6月号 P.37 (船舶技術協会)
  18. ^ 池田良穂編 日本の旅客船 P.116 (日本内航客船資料編纂会 1976)
  19. ^ 森田裕一 日本客船総覧 P.405 (1989)

関連項目

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  • 九州商船 - 1963年まで航路を運航、現在は主に五島列島と九州本土を連絡する航路を運営する同業他社。
  • 崎戸商船 - 西海沿岸商船と同様の経緯により、佐世保市と西海市の島嶼、新上五島町を連絡する航路を運営する同業他社。本社は同一ビルに同居する。
  • 瀬川汽船 - 佐世保市と西海市を結ぶ佐世保湾内航路を運航する同業他社。もと西海町営。
  • 協力産業 - 大島大橋開通まで、西彼杵半島と大島を連絡するフェリー航路を運航していた同業他社。
  • さいかい交通 - 西彼杵半島および周辺島嶼部の陸上公共交通機関。長崎自動車より分社。
  • 江崎海陸運送 - 松島 - 瀬戸のフェリー航路を運営する同業他社。
  • 西海市営交通船 - 松島 - 瀬戸の旅客船航路を運営する同業他社。

外部リンク

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