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多度津造船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
波止浜造船から転送)
多度津造船株式会社
TADOTSU SHIPYARD CO., LTD.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
764-8503
香川県仲多度郡多度津町東港町1-1
設立 2013年3月27日
業種 輸送用機器
法人番号 1470001013861 ウィキデータを編集
事業内容 船舶製造業
代表者 代表取締役 檜垣幸人
資本金 1億円
主要株主 今治造船株式会社
外部リンク https://www.tadotsuzousen.com/
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多度津造船(たどつぞうせん)は、香川県仲多度郡多度津町造船会社今治造船グループの系列会社である。

概要

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太平洋戦争の戦時体制による企業合同と造船合理化政策によって、1943年今治造船とともに伊予木鉄造船として設立された[1]愛媛県越智郡波止浜町の工場敷地は塩田を埋め立てて建設された[1]。戦中は木鉄交造船や上陸用舟艇を建造していたが、戦後、産業設備営団から設備・機械の払い下げを受け[2]、鋼船の建造を開始、1950年波止浜造船に社名を変更した[1]

1970年代に入り建造船の大型化で波止浜地区が手狭になったことから、来島どっくの大西工場(愛媛県大西町)、今治造船の丸亀工場(香川県丸亀市)に続いて、波止浜造船も多度津工場(香川県多度津町)を建設して拠点を移したが、オイルショックの影響による造船不況で経営状況が悪化した[2]1978年には常石造船の傘下に入り経営再建を目指したが、翌年の1979年に倒産した。その後、大島分工場および波止浜工場はハシゾウ(現あいえす造船)へ譲渡された。2000年に常石造船に吸収合併され波止浜造船は消滅[3]、多度津工場は常石造船多度津工場となった。

2013年2月、ツネイシホールディングスは多度津工場からの撤退を表明[3]多度津造船として分社化した後、今治造船へ売却された[4]

沿革

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事業拠点

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現在の事業所

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  • 多度津工場
香川県仲多度郡多度津町東港町1-1 北緯34度16分50.9秒 東経133度44分41.6秒
敷地面積:40万m2、建物面積:8万6千m2、建造設備:第1号船渠(380m×59m)

過去の事業所

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  • 波止浜工場
愛媛県今治市波止浜 北緯34度6分26秒 東経132度58分15.9秒
現在は今治造船今治工場の一部となっている。
  • 大島分工場
愛媛県今治市吉海町本庄332番地 北緯34度9分8.5秒 東経133度1分39.6秒
芸予諸島の離島の一つである大島に所在する。現在はあいえす造船の本社工場として稼働している。

脚注

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  1. ^ a b c 臨海都市圏の生活文化 : 昭和を生き抜いた人々が語る.」『愛媛県生涯学習センター』1996年3月http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=1&P_SNO=5&P_FLG1=3&P_FLG2=1&P_FLG3=4&P_FLG4=12016年3月21日閲覧 
  2. ^ a b c 愛媛県史 社会経済3 商工」『愛媛県史編さん委員会』1986年3月31日http://ilove.manabi-ehime.jp/system/regional/index.asp?P_MOD=2&P_ECD=2&P_SNO=45&P_FLG1=12&P_FLG2=2&P_FLG3=4&P_FLG4=02016年3月21日閲覧 
  3. ^ a b “ツネイシHD、多度津工場の生産停止 地元は雇用懸念”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2013年2月9日). オリジナルの2016年3月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160320160300/http://www.nikkei.com/article/DGXNZO51539010Y3A200C1LA0000/ 2016年3月21日閲覧。 
  4. ^ a b c d 多度津工場売却に関するお知らせ』(プレスリリース)常石造船株式会社、2013年7月17日。オリジナルの2015年8月21日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20150821104040/http://www.tsuneishi.co.jp/news/release/2013/07/18972016年3月21日閲覧 

外部リンク

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