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西寒多神社

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西寒田神社から転送)
西寒多神社

拝殿
所在地 大分県大分市寒田1644
位置 北緯33度10分22秒 東経131度35分54.2秒 / 北緯33.17278度 東経131.598389度 / 33.17278; 131.598389座標: 北緯33度10分22秒 東経131度35分54.2秒 / 北緯33.17278度 東経131.598389度 / 33.17278; 131.598389
主祭神 西寒多大神
社格 式内社(大)
豊後国一宮
国幣中社
別表神社
創建 (伝)第15代応神天皇9年
例祭 4月15日
主な神事 御神衣祭(32年に1度)
地図
西寒多神社の位置(大分県内)
西寒多神社
西寒多神社
地図
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鳥居
境内遠景

西寒多神社(ささむたじんじゃ)は、大分県大分市にある神社式内社(大社)、豊後国一宮旧社格国幣中社で、現在は神社本庁別表神社

祭神

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主祭神(本殿)

相殿神

殿内所在諸神

歴史

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本宮山

創建

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「大分郡志」によれば、神功皇后三韓征伐からの帰途、西寒多山(現 本宮山)に臨幸し、その証として山頂に白旗を立てたという。当地の人々はこれを崇敬して籬垣を結んで拝んでいた。その後、応神天皇9年4月、武内宿禰が本宮山上に祠を建てたのが創祀であるという[1]

この伝承から、当社は本宮山を神体山として成立したと見られている[2][1]

概史

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国史の初見は、『日本三代実録貞観11年(869年)3月22日条の西寒多神に従五位下を授けるという記述である。『延喜式神名帳では豊後国大分郡に「西寒多神社」と記載され、豊後国では唯一の大社に列した。また、豊後国一宮として崇敬されたという。平安時代後期以降は衰退したが、中世以降は領主の大友氏の崇敬を受けた。

明治4年(1871年)5月14日、近代社格制度において国幣中社に列格し、第二次大戦後は神社本庁別表神社となった。

神階

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考証

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式内社の比定

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式内社「豊後国大分郡 西寒多神社」の論社としては、他に西寒田神社(大分県臼杵市)がある。『豊後国志』『太宰管内志』では、そちらが本祠であるとし、応永15年(1408年)3月に大友親世が現在地に遷座したと伝えている[1]。一方、大分郡の郡域や本宮山伝承から、こちらが本祠であろうとする見方が強い[2]

豊後国一宮の比定

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当社の一宮への比定は、『豊後国志』『太宰管内志』「大分郡志」等による[2]。一方で、豊後国一宮は柞原八幡宮も主張している。嘉応3年(1171年)の史料で「由原八幡宮」を一宮とするものがあり、宇佐八幡宮別宮の柞原八幡宮が当社を差し置いて一宮に転化したと見方が強い[3][4]。一宮について記した史料では、根拠は不明ながら、『諸国一宮神名帳』(1375年以前成立)は柞原八幡宮を、『大日本国一宮記』(16世紀頃成立)は当社を記載している[5]

これに関連して、安永10年(1781年)の縁起では「当社を柞原神社ともいう」として両社を同体視する伝承を載せている[1]。ただし、これは誤りと見られている[2]

境内

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社殿

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本殿右に立つ神庫は、明治19年(1886年)の造営。入母屋校倉造り。大分市の文化財に指定されている。

万年橋

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万年橋(県指定文化財)

万年橋(まんねんばし)は、西寒多神社の入口を流れる大分川水系寒田川(通称 みそぎ川)に架かる石造単アーチ橋である。昭和55年(1980年)4月8日に大分県の有形文化財に指定されている。

主構造がアーチであるだけでなく、路面も緩やかな弧を描く太鼓橋で、路面とアーチとの間の石組が狭いのが特徴である。江戸時代末の文久2年(1862年)に当時延岡藩領であった寒田村の庄屋らが発起し、岡藩領であった大野郡柴北村(現 豊後大野市犬飼町柴北)の石工2代目後藤郷兵衛ら20名によって同年に竣工した。

諸元

  • 所在地:大分県大分市寒田
  • 河川:大分川水系寒田川
  • 形式:石造単アーチ橋
  • 橋長:22.0メートル
  • 橋幅:3.7メートル
  • 径間:11メートル
  • 拱矢(アーチ高):3.9メートル
  • 竣工:文久2年(1862年)
  • 石工:後藤郷兵衛(2代目)
  • 文化財指定等:大分県指定有形文化財

摂末社

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奥宮

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本宮神社(奥宮)

境内社

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  • 合併社
  • 厳島神社
  • 繰生社
  • 伊勢社

主な祭事

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式年祭

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  • 御神衣祭(かんみそまつり)
    特殊神事。33年目ごとの例祭の日に行なわれる。祭神の神衣を新調して納める式年大祭である[注 2]
  • 神幸大祭(御神幸祭)
    3年目ごとに行なわれる。

年間祭事

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  • 月次祭 (毎月1日)
  • 元旦祭 (1月1日)
  • 厄除星祭 (2月1日-3日)
  • 祈年祭 (3月15日)
  • 本宮春祭 (3月20日)
  • 例祭 (4月15日)
  • ふじまつり (5月3日-5日)
    万年橋近くのフジの花が見ごろを迎える。神殿祭、育木祭、慰霊祭、水神祭、勧学祭が行なわれる。
  • 大祓 (6月30日)
  • 夏越祭 (7月最終日曜)
  • 本宮秋祭 (10月20日)
  • 新嘗祭 (11月23日)
  • 大祓、除夜祭、古守札焼納祭 (12月31日)

文化財

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大分県指定文化財

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  • 万年橋(有形文化財) - 昭和55年4月8日指定。

大分市指定文化財

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ヤマフジ(市の天然記念物)
  • 神庫(有形文化財) - 昭和49年1月9日指定。
  • ヤマフジ(天然記念物) - 樹齢450年以上、樹高3.5m、幹周2.8m[6][7]。昭和49年1月9日指定[8]。大分市指定名木(樹木の部)にも指定されている。

その他

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  • 西寒多神社の森 - 大分県指定特別保護樹林、大分市指定名木(樹林の部)[9]

交通アクセス

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脚注

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注釈

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  1. ^ 祭神は由緒書による。
  2. ^ 祭事は由緒書による。

出典

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  1. ^ a b c d 『大分県の地名』西寒多神社項。
  2. ^ a b c d 『日本の神々』西寒多神社項。
  3. ^ 『日本中世国家と諸国一宮制』(岩田書院)p. 48。
  4. ^ 中世諸国一宮制 & 2000年, p. 598.
  5. ^ 『中世一宮制の歴史的展開 下』(岩田書院)p. 367。
  6. ^ 大分市指定名木一覧表(樹木の部) 大分市
  7. ^ 大分市指定名木12、13、14号 大分市こどもページ
  8. ^ 国・県・市指定文化財一覧 大分市
  9. ^ 特別保護樹林一覧 大分県

参考文献

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  • 神社由緒書
  • 『日本歴史地名体系 大分県の地名』(平凡社)大分市 西寒多神社項
  • 秦政博「西寒多神社」(谷川健一 編『日本の神々 -神社と聖地- 1 九州』(白水社))
  • 中世諸国一宮制研究会編 編『中世諸国一宮制の基礎的研究』岩田書院、2000年。ISBN 978-4872941708 

関連図書

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  • 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、31頁
  • 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、157頁

関連項目

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  • 柞原八幡宮 - 史料上で確認される豊後国一宮。
  • 西寒田神社 - 式内社「西寒多神社」論社。

外部リンク

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