藤野繁雄
藤野繁雄 ふじの しげお | |
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生年月日 | 1885年4月7日 |
出生地 |
日本 長崎県南高来郡神代村 (現・長崎県雲仙市) |
没年月日 | 1974年3月17日(88歳没) |
死没地 | 日本 長崎県長崎市 |
出身校 | 東京高等農学校卒業 |
所属政党 |
(無所属→) (自由党→) 自由民主党 |
称号 |
正四位 勲二等旭日重光章 |
選挙区 | 長崎県選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1947年3月20日 - 1965年6月1日 |
藤野 繁雄(ふじの しげお、1885年(明治18年)4月7日[1] - 1974年(昭和49年)3月17日[2][3])は、大正から昭和期の農業指導者、政治家。参議院議員(3期)。
経歴
[編集]長崎県[2][3]南高来郡神代村[4](国見町を経て現雲仙市)で藤野小三の二男として生まれる[4]。1907年(明治40年)東京高等農学校(現東京農業大学)を卒業した[2][3][4]。
長崎県農林主事、同県産業組合連合会長、同県生活物資配給統制組合連合会長、同県農業会長、同県指導農業協同組合連合会長、全国農業会監事、家の光協会理事、全国指導農業協同組合連合会理事・監事、全国土地改良協会理事・監事、全国農業協同組合監事協議会長などを務めた[2][3][4]。
1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で長崎県地方区から無所属で出馬して当選[2][5]。1953年(昭和28年)4月の第3回通常選挙で自由党公認で出馬して再選[5]。1959年(昭和34年)6月の第5回通常選挙では自由民主党公認で出馬して再選され[5]、参議院議員に連続3期在任した[2][3]。この間、第3次吉田内閣・地方自治政務次官、同第3次改造内閣・ 自治政務次官、参議院農林水産委員長などを務めた[2][3]。
その他長崎県農業協同組合中央会顧問、同県農林統計協会長などを務め[2][3]、1965年(昭和40年)春の叙勲で勲二等旭日重光章受章(勲六等からの昇叙)[6]。
1966年(昭和41年)には長崎県知事選に出馬したが得票率15%にも満たない惨敗に終わった。
1974年3月17日、心不全のため長崎市の自宅にて死去。88歳[7]。死没日をもって正六位から正四位に叙され、銀杯一組を賜った[8]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
- 『日本人事録 第6版 全国篇』中央探偵社、1963年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。