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藤田進 (拉致被害者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ふじた すすむ

藤田 進
生誕 (1956-06-16) 1956年6月16日(68歳)
日本の旗 日本埼玉県川口市
失踪 1976年2月7日
日本の旗 日本埼玉県川口市
国籍 日本の旗 日本
職業 東京学芸大学教育学部1年生
(父)春之助
家族 (弟)隆司
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藤田 進(ふじた すすむ、1956年昭和31年〉6月16日 - )は、北朝鮮による拉致被害者と考えられる日本男性[1]特定失踪者問題調査会でも「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている[2][注釈 1]

人物・おいたち

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小学生時代には競泳の全国大会で活躍し、川口市立川口西中学校では生徒会長を務めた、学業優秀でスポーツ万能な生徒であった[4][5][6]。高校は、県下有数の進学校として知られる埼玉県立浦和高等学校に進んだ[6]。妻を早くに失い、進、隆司の2人の男子を男手1つで育てた父の春之助にとっては自慢の息子であったが、進が失踪してからは、育て方を間違えたのではないかと苦悶することもあったという[4][7]。家庭では寡黙なタイプであり、特技はギターを演奏することであった[8]。大学は東京都小金井市東京学芸大学教育学部に進んだ[1][6]

1976年(昭和51年)2月7日朝6時半すぎ、以前より周囲に話していた新宿区警備員アルバイトに出かけると自宅に言い残し、そのまま帰らず行方不明となった[1][8]。あとで新宿区内の警備会社すべてに電話で問い合わせたが該当者はいなかった[8]。また、藤田進については在日朝鮮人の金萬有が経営する東京都足立区西新井病院で監禁されたという証言がある[9][10]。それによれば、藤田進は「保護室」と称される監禁部屋で薬剤を投与されて一時は意識が朦朧となり、また、身動きの不自由な保護服を着せられていた[10]。数日して新潟港に移送され、万景峰号に乗せられて北朝鮮に連れていかれたという[10]

他の失踪理由が存在しない、拉致被害者の集中する川口市の出身である、失踪が三鷹市で警備員をしていた久米裕の拉致事件(宇出津事件)のあった前年にあたるなどの状況から拉致の疑いが濃いと指摘されてきたが[1]2004年平成16年)に脱北者が北朝鮮から持ちだした拉致被害者とみられる日本人の写真が、鑑定の結果、失踪前の藤田進本人の写真と同一人物である可能性が極めて高いことが判明した[1][8]。写真の提供者は、藤田進は平安南道東北里(現在の平壌直轄市龍城区域於隠洞)にいると述べているという[11]特定失踪者問題調査会は2004年1月28日埼玉県警察告発状を提出した[8]

横田めぐみらの目撃証言で知られる元北朝鮮工作員安明進もまた、市川修一とよく一緒にいて親しくしていた藤田進を金正日政治軍事大学で目撃したことを証言している[1][11]。それによれば、1990年の7月か8月、安明進は市川修一の差し出したタバコマイルドセブン)を藤田進から受け取った[11]。安明進によれば、藤田進は身長172センチメートルくらいで顔が小さく、外見は40歳代前半のようにみえたという[11]眼鏡をかけており、香水の匂いがした[11]。また、市川修一がシャープな印象であるのに比べれば柔和なイメージであったという[11]

2007年7月にTBS報道特集は、「北朝鮮・普天の政治犯収容所で見た通常と違う扱いの囚人を見た。友人の副所長に囚人について尋ねると日本から拉致された「フジタススム」(もしくは「フジタススコ」)だと日本人らしき名前を聞いた」「身長は170センチほどで細身」「年齢は50を超えていると思う。60歳ぐらい」といった脱北者の朴明哲[注釈 2]の証言を報じた。この証言について特定失踪者問題調査会の真鍋貞樹専務理事は「(今まで「フジタ」姓で男性の特定失踪者は3人がいるが)埼玉の藤田進さんが可能性が一番あるんじゃないか」と同番組の取材に答えた。

脚注

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注釈

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  1. ^ 新潟県にも、同姓同名の藤田進という「拉致濃厚」の特定失踪者がいる[2][3]。新潟県の藤田進が失踪したのは1965年(昭和40年)3月26日で、失踪当時は新潟県立糸魚川高等学校の1年生(休学中)で、年齢は17歳であった[3]
  2. ^ 前年まで北朝鮮国家情報院の国会保衛部第4課に所属していたと証言している。

出典

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  1. ^ a b c d e f 荒木(2005)p.181
  2. ^ a b 失踪者リスト”. 特定失踪者問題調査会. 2022年6月1日閲覧。
  3. ^ a b 失踪者リスト「藤田進」(新潟県)”. 特定失踪者問題調査会. 2022年6月1日閲覧。
  4. ^ a b 拉致濃厚、藤田進さんの95歳父死去 「もうすぐ会える」願いかなわぬまま 被害家族高齢化、募る焦燥感”. 産経新聞 (2019年10月21日). 2022年6月1日閲覧。
  5. ^ 【ひと物語】 その日まで諦めない 特定失踪者家族・藤田隆司さん”. 東京新聞 (2020年11月16日). 2022年6月1日閲覧。
  6. ^ a b c 消えた川口の5人”. 川口市 (2020年11月16日). 2022年6月1日閲覧。
  7. ^ 【埼玉】息子に再会できず死去 特定失踪の藤田進さんの父”. 朝日新聞 (2019年10月23日). 2022年6月1日閲覧。
  8. ^ a b c d e 失踪者リスト「藤田進」(埼玉県)”. 特定失踪者問題調査会. 2022年6月1日閲覧。
  9. ^ 特定失踪者問題調査会特別調査班 (2021年2月13日). “第3次朝鮮スパイ事件(日本における外事事件の歴史3)”. 調査会ニュース. 特定失踪者問題調査会. 2022年6月1日閲覧。
  10. ^ a b c 週刊現代』2007年4月21日号
  11. ^ a b c d e f 安(2005)pp.158-159

参考文献 

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  • 荒木和博『拉致 異常な国家の本質』勉誠出版、2005年2月。ISBN 4-585-05322-0 
  • 安明進『新証言・拉致』廣済堂出版、2005年4月。ISBN 4-331-51088-3 

関連項目

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外部リンク

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