西新井病院
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西新井病院 | |
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情報 | |
正式名称 | 医療法人社団成和会 西新井病院 |
英語名称 | Nishiarai Hospital |
標榜診療科 | 内科、外科、脳神経外科、耳鼻咽喉科、眼科、歯科口腔外科、泌尿器科、麻酔科 |
許可病床数 |
196床 一般病床:150床 療養病床:46床 |
開設者 | 医療法人社団成和会 |
管理者 | 安部 裕之(院長) |
開設年月日 | 1953年5月 |
所在地 |
〒123-0845 東京都足立区西新井本町一丁目12番12号 |
二次医療圏 | 区東北部 |
PJ 医療機関 |
医療法人社団成和会 西新井病院(いりょうほうじんしゃだんせいわかい にしあらいびょういん)は、医療法人社団成和会が東京都足立区西新井本町に設置する病院。東京都の災害拠点病院に指定されている。
沿革
[編集]済州道出身の在日朝鮮人である金萬有(1914年8月7日 - 2005年12月25日)が1953年5月に創設した[1]。創立3大方針は「朝日親善、民主的医療センター、社会福祉」である。
2015年10月1日、現住所に地下1階地上6階建ての新病棟を開設し移転した。それに伴い、許可ベッド数が296から207に変更した。2020年2月現在では許可病床数が196床にて運用されている。
診療科
[編集]入院科目
[編集]※以上の口腔外科以外の診療科の外来診療は系列の成和クリニックにて行っている。
外来科目
[編集]医療機関の指定・認定
[編集](下表の出典[2])
保険医療機関 | 身体障害者福祉法指定医の配置されている医療機関 |
労災保険指定医療機関 | 生活保護法指定医療機関 |
指定自立支援医療機関(更生医療) | 難病の患者に対する医療等に関する法律に基づく指定医療機関 |
指定自立支援医療機関(育成医療) | 災害拠点病院(地域[3]) |
指定自立支援医療機関(精神通院医療) | 難病の患者に対する医療等に関する法律に基づく指定医の配置されている医療機関 |
会計
[編集]- 初診時に紹介状がない場合、保険外併用療養費が別途1,500円かかる。
関連施設
[編集]- 医療法人社団成和会
- 西新井病院附属成和クリニック
- 西新井ハートセンター病院
- にしあらい生活習慣病クリニック
- 西新井看護専門学校
- 介護老人保健施設むくげのいえ
交通アクセス
[編集]- 東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)・東武大師線「西新井駅」より徒歩12分[6]。
- 東武大師線「大師前駅」より徒歩5分[6]。
- 東武バス北01系統、「病院前」下車[6]。
- 都営バス王40甲系統・王49系統・王49折返系統、「西新井大師」下車[6]。
- 国際興業バス赤27系統・赤27-2系統、「西新井大師」下車[6]。
関連団体
[編集]- 一般財団法人成和記念財団 - 1982年4月病院創立者の出捐により財団法人金萬有科学振興会として設立される。2013年8月、特例財団法人から一般財団法人に移行。在日コリアン自然科学者の研究を助成すること等を目的とする。西新井病院の敷地と院債がこの一般財団法人の基本財産となっている[7]。
- 金萬有病院 - 北朝鮮の首都平壌に当病院の創立者の資金提供により設立された総合病院。当病院の姉妹病院[8]。
その他
[編集]北朝鮮による拉致被害者と考えられる藤田進について、当病院で監禁されたという証言がある[9][10]。それによれば、藤田進は「保護室」と称される監禁部屋で薬剤を投与されて一時は意識が朦朧となり、また、身動きの不自由な保護服を着せられていた[10]。数日して新潟港に移送され、万景峰号に乗せられて北朝鮮に連れていかれたという[10]。
脚注
[編集]- ^ 創立者 金萬有
- ^ “東京都医療機関・薬局案内サービス”. 東京都福祉保健局. 2021年6月20日閲覧。
- ^ “災害拠点病院一覧(令和3年4月1日現在)”. 厚生労働省. 2021年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月20日閲覧。
- ^ “救急医療機関一覧”. 東京都福祉保健局 医療政策部 救急災害医療課 救急医療担当. 2021年6月20日閲覧。
- ^ “東京都における脳卒中医療連携の取組”. 東京都福祉保健局 医療政策部 救急災害医療課. 2021年6月20日閲覧。
- ^ a b c d e “アクセス”. 西新井病院. 2021年6月20日閲覧。
- ^ 一般財団法人成和記念財団定款第5条、同別表
- ^ 『朝鮮新報』2001年6月8日 http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj2001/6/0608/51.htm
- ^ 特定失踪者問題調査会特別調査班 (2021年2月13日). “第3次朝鮮スパイ事件(日本における外事事件の歴史3)”. 調査会ニュース. 特定失踪者問題調査会. 2022年6月1日閲覧。
- ^ a b c 『週刊現代』2007年4月21日号