藤原忠成
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時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 寛治5年(1091年) |
死没 | 保元3年(1158年)10月 |
官位 | 正五位下、民部大輔 |
主君 | 鳥羽天皇→崇徳天皇→近衛天皇→後白河天皇→二条天皇 |
氏族 | 藤原北家長家流(御子左流) |
父母 | 父:藤原俊忠、母:藤原敦家の娘 |
兄弟 | 忠成、忠定、公長、俊成、俊定、快修、禅智、仁助、寛豪、尊忠、晴忠、頼俊、頼仁、禅寿、仁証、寛叡、 俊海、忠海、豪子、藤原伊通室、藤原師綱室、俊子、藤原光房室、忠子、藤原顕頼室、藤原知通室 |
妻 | 源季忠の娘 |
子 | 光能、惟綱、昌雲、重慶、徳大寺公能妾、以仁王妾、持明院基宗室 |
藤原 忠成(ふじわら の ただなり)は、平安時代後期の貴族。藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。官位は正五位下・民部大輔。
経歴
[編集]鳥羽・崇徳・近衛・後白河・二条の5帝に仕え、少納言や治部少輔等を経て、久安3年(1147年)民部大輔に任ぜられる。官位には恵まれず、位階は正五位下止まりであった。子・光能は参議に昇っている。
官歴
[編集]系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『尊卑分脈』