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藤原公長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 公長(ふじわら の きんなが、元暦元年(1184年) - 没年不詳)は、鎌倉時代公家藤原北家末茂流中納言藤原実教の三男。官位正三位民部卿

経歴

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後白河院政期後期の文治2年(1186年従五位下叙爵し、建久2年(1191年)従五位上に叙せられる。のち、丹波守越中守を経て、正治元年(1199年正五位下右兵衛佐に叙任された。

建仁2年(1202年)母のから復任後直ちに従四位下に叙せられると、元久2年(1205年)従四位上、建永2年(1207年)には正四位下まで昇進するが、その後は右兵衛佐のみを帯びて、叙位任官の機会を得られなかった。

建保7年(1219年従三位に叙せられて公卿に列す。嘉禄2年(1226年治部卿を経て、翌嘉禄3年(1227年民部卿に遷るが、非参議のまま民部卿を兼ねたのは、平安時代初期の延暦15年(796年)に民部卿から参議を経ずに従三位に昇った和気清麻呂以来400年以上ぶりであったという[1]嘉禎2年(1236年)まで民部卿を務め、この間の寛喜元年(1229年正三位に至る。

仁治元年(1240年)10月20日に出家法名尊仏

官歴

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公卿補任』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ 『公卿補任』

参考文献

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